山岡荘八「伊達政宗」全八巻

伊達政宗 (1) 朝明けの巻 (山岡荘八歴史文庫 51)

伊達政宗 (1) 朝明けの巻 (山岡荘八歴史文庫 51)

 初山岡荘八。初伊達政宗。ああ、これは大変楽しかったよ…。久々に読みながら「しまった」と思った。面白すぎて「失敗した」と思ったw 歴史小説は読み出すと嵌っちゃって切りがないから、数年前に一度封印したんだったよ。と、読み出してから思い出したんだ。今となってはかなり後の祭りっぽい予感です。…。

 この本によると、織田信長と伊達の年の差は33歳だそうで。30年とはいわなくとも、あと10年でも20年でも早く生まれていれば、あるいは伊達の人生は大きく変わっていたかもしれない。でもこの小説を読んでいると、時代時代に合わせて自分を柔軟に変えることで、遅く生まれて来たからこその良さも、味わえた人なのではないかとも思う。
 幼い頃には禅師に付いて「へそ曲がりであれ」と教えられ、鍛えられた才覚や叛骨で豊臣秀吉との人を食ったようなやり込めあいを演じたり、徳川家康の治める世になったと誰もが思う頃にも、「隙あらば」と策を弄したり。若い頃の伊達の一見奔放で放胆なキャラクタは、とても厳しく自分を律する、強い意思を持った好人物としての側面から生まれていて、とても面白く魅力的に映る。
 伊達政宗といえば、やはりそうした派手で洒脱な印象が強い。その為、誤解を恐れずに言えば、時代が徳川の時代になって徐々に落ち着き、伊達が家康の望む治世、また家康その人に対して共感・共鳴し、心から頭を下げて協力を惜しまず働いていくようになると、物語としては多少の物足りなさも。
 ただ若い頃のぎらついた野心こそなくなるものの、その分、人としての深みや厚みは年を重ねる毎に増し、老獪さとは別の潔さ、爽やかさが生まれ、それがとても魅力的でもある。家康本人の存在は勿論として、一時は娘婿として迎えた徳川忠輝や、二代将軍・秀忠、三代将軍・家光と、それぞれの成長に立会い見守る立場になることで、自身への客観性を改めて磨かれ、伊達は老境を迎えてますます思考を明晰にしていく。そうした部分の面白さは、伊達の後半生を描いた7・8巻ならではの見どころ。
 幼少の頃に片目が見えなくなってしまったことや、母と弟との確執など、正直着眼によっては「コンプレックスの塊」と描かれてもおかしくない人物だと思うだけに、この作品の伊達は爽やかで純粋なかっこよさに溢れていて、魅力的です。

 個人的に、歴史小説というと司馬遼太郎の作品が好きで、これまでに幾つも作品を読んでいるのだが。山岡作品には、司馬作品にない、「身軽さ」のようなものを感じた。いや司馬作品が重いということじゃないんだけど。
 司馬作品は、本筋とは無関係でも丁寧に語られるのが、一つの特徴のように思う。作中で描いている時代の中で重要な事象ならば、たとえ主人公とはまるで無関係な場所で起こったことでも、唐突に話を脱線していく。それは「時代」の空気のようなものを読者に伝えることになったり、主人公に直接関わらなくとも、主人公達を取り巻く情勢がどうなっているかを俯瞰的に読者に知らせたりする。多少なりその時代を知る手掛かりになる情報で、いわば司馬本人による歴史の解釈が、詳細に綴られている。それが司馬作品の特徴の一つで、面白みでもあるのだが。
 この山岡版「伊達政宗」には、そうした部分があまりない。
 その時代の中で、俯瞰的に伊達がどういう場にあるのか、とか。その時代に伊達の周辺とは別の場所で、どういうことが起きているのか、とか。そうした情報はあまり(というか殆ど)語られない。そうした歴史的な背景をあまり描かないから、堅苦しさがない。
 この作品では、伊達に南蛮人の側妾がいたことになっており、マリアという名の女性が登場しているのだが。史実としての事実はなく、「当時『南蛮人のご愛妾を持ったのは伊達さま一人』という噂があったらしい」ということから、登場させたと随筆に書いている。史実としての正しさより、「いかにもありそう」なフィクションとしての面白さの方を徹底して追及している様子が窺えた。歴史小説だからといって、「歴史」を殊更「勉強」しなくてはと構える必要はなく、ただ「フィクション」として、その人物の魅力を楽しめばいい、そんな書き方を山岡荘八はしている気がする。
 司馬作品にはない、作品の中心である主人公を脇目を振らずに描いていく、真っ直ぐな勢いがある。そんな気がした。豊臣秀吉徳川家康柳生宗矩といった脇を固めるキャラクタもそれぞれ魅力的で、読もうか悩んでいた頃は全八巻というのが重く思えたけれど、読み出してしまえば本当にあっという間でした*1
 歴史上の人物を面白く平易に描いた、という点で大変良質フィクションだと思った。大変楽しかったです。*2



 いやしかしやばいです。まじでやばい。これ立て続けに戦国もの読んだら、今年一年戦国ものしか読まない可能性も大だよ。正直戦国は、嵌ると幕末・明治の比じゃないと思ってるんだ…*3歴史小説は芋蔓式に読みたい本が山ほど増えてしまうから、際限なき魔境…。本当に心底危険なジャンルなんだ…!
 歴史小説の芋蔓式→普通のジャンルなら、一冊読んで面白かった場合、「その作家の他の本を読む」だけで済ませられるが、歴史小説の場合、「作家づたい」「歴史上の人物づたい」「戦や事件づたい」などとば口の数も多ければ、芋蔓の先の関連書籍の数も尋常ない量で存在する為。本当に切りがない。
 おお、恐ろしい…! でも今、読書が改めて楽しいですw

*1:まあ、1冊がどれも300ページ程度の本だしね

*2:でもどれだけ面白かったからといって、「じゃあこの勢いで『徳川家康』読んじゃうか!」ってなるかというと、それはやっぱりない。…だって、全26巻…(しかも見た目の1冊平均500ページ)。

*3:作品の絶対数はもしかしたら幕末・明治の方が多いのかもしれないが、主役クラスで扱われているだろう人の数は戦国の方が多いイメージ