司馬遼太郎「尻啖え孫市」

尻啖え孫市 (講談社文庫 し 1-6)

尻啖え孫市 (講談社文庫 し 1-6)



 私事ですが、今年から久しぶりに歴史小説を解禁しています。そしてとうとうこの本で、司馬遼太郎も解禁にしてしまいました…! し、しばりょー!!! ツチヤは司馬遼太郎がもう、ちょっと、本当に、超大好きです。内心きゃっきゃしながら読みました。
 どれくらいきゃっきゃしていたかというと、冒頭の織田信長の叙述が、いちいち脳内でコーAー絵柄で再生されたくらいです。困りました。もうね、私はゲーム全然しない人間なのに、何故コーAー絵柄で再生されねばならんのかと。少しは落ち着けよとw。まあ、そんな馬鹿な話は置いといて、だらだらと雑感です。



 時代は戦国時代、鉄砲・種子島伝来から殆ど間もない頃。鉄砲の数、その技術の高さで「雑賀が味方した方が勝つ」と言われるほど世に知れ渡っている、紀州の鉄砲衆頭領・雑賀孫市を主人公にしたお話。
 物語の冒頭、孫市は天下統一を目前にした織田信長領は岐阜城下へ遊びにやってくる。その人を食った登場の仕方、孫市の言動の一挙手一投足が誘うおかしみ。とにかく、いかにも司馬遼太郎といった感じの出だしで、もうこれだけで、こらえきれないほどわくわくさせられます(笑)。
 司馬遼太郎の描く主人公の魅力は、やっぱり染み透るような笑顔。そして人好きのする愛嬌。孫市もそうした魅力を備えた、気持ちのよい主人公として描かれます。そういう主人公が出てくると、司馬遼太郎らしさが全開になるという印象が、私にはあります。多分、「坂の上の雲」と「竜馬が行く」の影響だと思われますが(笑)、主人公でなくとも、「そうした愛すべきキャラクタ」の人物が、大体どの作品にも少しは出てくる。多分、そういう風に描くキャラクタが好きで、好きだからこそ、そういう風に描きたいという、作家本人の嗜好なんだろうなぁと思う。
 孫市はその点で、典型的な「愛すべき人柄」の人物として、大切に描かれている。読みながら、こっち、にこにこしたくなるほどに!

 この作品の肝は、やっぱり孫市と秀吉の出会いなのかな。
 雑賀衆を織田勢に引き入れるべく、信長の命を受けた秀吉が孫市と知り合い、その後、友情を互い感じあう仲になる。時勢の中で彼等は敵同士になり、一度成り行きで味方のように戦ったことがある他は、結局最後まで「味方」になることはないのだけど。秀吉が孫市を鉄砲衆の頭領ということ以上に人柄に釣り込まれ、敵になっても憎からず(というよりかなり熱烈に好意的)思っていること。また孫市も秀吉を利口さを気に入って親愛の情を抱いている、ということが、とても印象的に丁寧に描かれていたように思います。
 秀吉が信長の下で力を付け、政治的な立場と思考を嫌でも身に付けていくのと対照的に、金でその日の主人を変える傭兵部隊の頭である孫市は、いくつになってどんな時勢になっても、どこか無邪気な子供のまま。天下取りの野心がないからこその孫市の自由さは、あの時代には奇異だったと思うけれど、だからこそ秀吉は孫市をあんなにも好いたのかな。孫市が自由奔放な人物だけに、周囲の人物が語り部として重要な要素を占めますが、秀吉は友誼を結んだ間柄であったことも含め、そうした対比を表す意味でも重要な登場人物でしたよ。



 話は飛ぶようですが。作中でわりに丁寧に描かれている秀吉と共に、印象的に描かれているのが、やはりというかなんというか、信長です。孫市はあまり信長と直接どうこうという絡みのシーンがない。ただ作中の情勢で重要な役どころで、印象的に描かれるのも当然といえば当然の話ですが。
 特に色濃い印象を残したのは、敦賀・朝倉攻めの後かな。背後を浅井長政に襲われて、信長は取るものもとりあえず逃げるしか手がない。そういう追い詰められた状況で開かれた軍議のシーンでの、秀吉との遣り取りです。
 死を覚悟して「ここにお残しくださいますように」と願い出る秀吉。
 それに対して「ゆるす」と許可して退却する信長が、秀吉に短く言いおく最後の一言は、「猿、命冥加であれ」。
 この二人の関係って、まさにこの距離感だ…! となんかたまらなくぎゅっと心を掴まれた瞬間でしたよ。ここだけ、こうやって抜き書きしても、全然言いたいことは伝わらないのでしょうが(苦笑)。それぞれに打算はあれど、信長にとって秀吉はやっぱりかわいがっている部下だったろうし、秀吉も気難しいながらも尽くすに値するする上司だったろうから、自分の運を掛けてしんがりを務めようともするわけで。他の色々なシーンで度々出てくる信長と秀吉、二人の関係を一番端的に表した会話だと思えたのでした。
 まあ戦国時代の上司と部下は、どこも似たようなものなのかもしれない。この辺り、戦国歴史小説素人なもので、妙に過剰に反応しているだけかも判らないけれども(笑)。「口説は要らぬわ。話の止めだけを申せ」という信長の言葉から即座に繰り出される秀吉の覚悟の台詞、その後の「命冥加であれ」という言葉と共に信長が一散に退却していくまでの見事さったら、ちょっとなかったです。
 ある意味、一番印象に強く残ったシーンだったかもしれない。一分一秒も惜しまれる退却シーンだけに、二人の関係性を過不足なく描いた無駄のなさ、テンポの良さといい、まさに秀逸の一言でした。
 この会話のテンポの良さ、作品全体の持っているスピード感。それでいて、「話がそれた」と何度も言いながらがんっがん余談を挿入していく、あの間合い。ああ、今わたし司馬遼太郎を読んでる…! って感じがしました。あああ駄目だ、好きすぎて面白すぎて、語り始めたら止まらない…(笑)!



 ちなみに孫市の定紋は、サッカー日本代表のエンブレムでもお馴染みの八咫烏*1。なんでも日本に初めて近代サッカーを持ち込んだ?方の出身地が和歌山で、熊野大社があることから採用になったのだとか。へぇ〜。
 つか話とは無関係に、八咫烏の咫が、距離の単位だということを初めて知りましたワタクシ。読みは「あた」。親指と人差し指を開いた時の距離を言うそうですよ(でも八咫烏の場合はどうやら「大きい」くらいの意味みたいですけど)。一つお勉強になりました。

*1:三本足の烏