車谷長吉「忌中」

忌中 (文春文庫)

忌中 (文春文庫)

 久しぶりに車谷長吉作品を読みました。様々な横死・横死に纏わる物語を描いた短編集。
 車谷長吉のごく私小説的な物語とされる?他の作品と比べると、私的には読みやすい印象で*1、非常に新鮮でした。面白かった…!
 男性主人公の短編と、女性主人公の短編がありますが、私が特に新鮮だと感じたのは女性主人公の一人称で描かれていた「飾磨」という作品。「車谷長吉といえば男性視点」という印象が強かったのですが、その印象ががらっと変わるような一作でした。車谷長吉の女性一人称、いいなぁ。とてもいい。短編集を順番に読んでいくと、同じ作家でも男性視点と女性視点の作品で、こうも描写の感じが変わってくるものかなぁと。どこまで意識して変えているのかなぁとも思った。すごいなぁ。



 今、なんとなくこれを書いていて気付いたことなんだが。女性作家とか、男性作家とかってくくるのは、とても乱暴なことで、全然意味もないことだけど、感覚的なところでざっくりくくると、私の中では、

 男性作家の男性視点>>>男性作家の女性視点>女性作家の男性視点>>>女性作家の女性視点

 なんだな。一人称・三人称を問わず、多分。
 女性作家の女性視点が面白くないってことじゃないんだけど、女性の作家の情感や感性?に訴える表現とか、雰囲気を捉えて感覚的に提示していく感じとか、やっぱり嵌るとすごく面白いんですけど。多分、自分も女性だからこそ?「あ、それは知ってる(からいいや)」みたいに思う部分があって(笑)*2。男性作家の、女性にはないものの捉え方とか感じ方、その表現が、私には新鮮なのかもしれない、ということです。
 感覚とか情緒、雰囲気を直感的に捉える書き方じゃないもの。理性で捉えたものを外をじっくり埋めたり提示していくような、淡々と核心に迫っていくような書き方のものが、多分私には面白い。私がすごく右脳ばっかりの脊髄反射で生きている人間だから、対極だから相性がいいのかもしれない(苦笑)。情感を削いだところに、かえって感情の波立ちが浮かび上がる、抑制の効き方に対する憧れというか。まあだんだん気持ち悪い文章になってきましたが。そうした視点の描写の書き分けを感じた今だからこそ、「赤目四十八瀧心中未遂」や「塩壺の匙」を読み直したくなったのでした。

 そうそう、「忌中」内に、「塩壺の匙 補遺」という話が収録されています。非常に短いものなので、「塩壺の匙」をお好きな方は読んでみるのもいいかもしれません。…しかしやっぱり、塩壺のしおの字、出ないなぁ(苦笑)。密林さんでも、「塩壺」になってるわ。仕方ないけど印象が全然違ってしまって、しまりがないこと!

*1:私小説系は面白くて本当にぐっとくるのだが、私にはとにかく重くて深くてしんどいのだ…(でも読む。Mっ気全開で)。

*2:判るからこそ嫌悪みたいなものも感じているのかもしれないよね