辻仁成「海峡の光」

海峡の光 (新潮文庫)

海峡の光 (新潮文庫)

 結構前の芥川賞受賞作。北海道にある少年刑務所を舞台に、そこで働く主人公と、そこに入所してくる小学生時代の同級生の話。

 なんでかしらんが、父が唐突に読むかと聞いて来たので、じゃあ読みます、みたいな流れで読みました(笑)。辻仁成は、高校時代に何作か立て続けに読んで以来、本当に久しぶり。「ああ、こんな文章を書く人だったんだなぁ」と思いました。わりにこう…、美麗な感じの方向性を感じた、というか。耽美とかってことではありませんが、もっとシンプルというか、削ぎ落としていく方向の文章のような気がしていたんです。でもそれよりはもっと、言葉を少しだけ重ねるやり方、また選ばれる単語一つ一つが、装飾的な「きれい」さがあるような気がした。なんて説明したらいいのか、よく判らない、非常に感覚的なものですけど。←右脳しか使ってないような感想になってすみません…。
 高校時代には、どんな文章か、なんてあまり考えずに読んでいたんだなということが判る*1。読んで好きか嫌いか、面白いと感じられるか感じられないか。漠然とした感覚だけで読んでいた気がします。まあ、今もそんなに変わらないでしょうが(苦笑)、今より高校時代の方がもっと、動物的な勘で本を選んで、読んでいたことが判る。当時の方が今より勘が働いていたということかもしれないし、単純に若くて動物的だったのかもしれない(笑)。

 一人称の物語なので、小学校の同級生で当時主人公を苛めていたという花井は、一切が謎のまま、内面が描かれることはない。果たして花井がどのようなことを考え、思い、実行する人物であったのか。非常に不可思議な人物として描かれていただけに、作品が三人称で描かれていたら、と思わないでもないかな。その点は、少し残念。

 上手くいえないけれど、辻仁成作品特有の「ひねた視線」みたいなものは健在でした。←悪い意味ではなくてね。その作家の味、みたいなもののことが言いたいのです。この、独特のひねた視線みたいなものの正体が知りたくて、高校時代に何冊も立て続けに辻作品を読んだのだったわ、と、読み終えてから唐突に思い出しました。そんなものの正体なんて、そう簡単に解明できるものでもないし、別に知らないままでいいのかもしれませんけど。当時は読む作品読む作品、変に引っかかって、首を捻りながら作品を読んだのです。
 多分、高校生の私は作品の読後に、なにがしか爽快感を求めていたのではないかと思う。私の読み方の問題なのか、あるいは辻作品の傾向なのか、その爽快感が私には読み解けないのだ。だから妙に引っかかる。
 ただ人が日常を生きていく中で、心に抱える問題が必ず爽快感を持って解消される(達成される)ことの方が珍しいもので。この作品も何かが解消されるというよりは、抱え込んでいた問題が膨らんだり萎んだりしながら心にあり続け、ずっとそれと付き合っていく。そういう物語なのだろうと思う。自分の中の問題についての、折り合い方を求めていく様子を描いた話です。

*1:私が高校時代に読んだ本と、今回読んだ本は違うものなので、多少文章が変わっていることはあると思いますが