絲山秋子「イッツ・オンリー・トーク」

イッツ・オンリー・トーク (文春文庫)

イッツ・オンリー・トーク (文春文庫)

「イッツ・オンリー・トーク」、全ては無駄話というタイトルを冠せられたデヴュー作。主人公の女性と、彼女を取り巻く友人・知人の男性の日常を淡々と描いた短編でした。女性の一人称なのだけど、性を描いても変に情感に訴えるところもなくて、静かでさらっとした物語になっている。
 途中、鬱などの症状を抱えた人の集まるサイトを管理している主人公が、そのサイトから知り合いになった男性とオフで顔をあわせたり、福岡から訪ねて来てしばらく居候することになった従兄弟に眠剤*1をあげたりというシーンなどがある。彼女がそうした症状を抱えている女性という設定であることは、そうした部分からよく判るが、そうしたシーンも非常にあっさりと描かれている。それが彼女にとってごく当たり前の症状で、その設定もごく当たり前のものとして、取り立てて前面に押し出されるところがない。
 別に鬱と診断されて薬を飲んでいなかったとしても、きっと誰にも不安はあるし、どこかで精神的にバランスを逸しているところがある。そして昨今では、鬱とかそうした症状で服用しながら生活していくことも、本当に当たり前のことだと思う。この短編で、主人公の女性がそうした薬を服用する必要のある状態だという設定が、一瞬必要でないと思うくらい、それはごく些細なものとしてしか、作品に作用してこない。それが現代を生きることのリアリティなのかなぁと思えて、淡白な描写に好感が持てた。

 同時収録の「第七障害」や、他の作品を読んだ時も思ったのだけど、そうした彼女の作品の淡白さは、個々の作品に対する「抑制」というよりは、彼女の個性・持ち味なのだなぁと思った。読みやすくて、嫌味がなくて、過度に情感を煽らなくて良いです。
 人が死んだりする設定をこれでもかと悲劇として扱って、「泣ける!」とか煽って売られる作品が多すぎて、辟易している中で、こういう淡々とした作風の作品が読まれていると妙にほっとします。皆が感動する・泣けるというから感動して・泣くんじゃなくていいよ、という感じ。どう感じるかは、人それぞれでいいんじゃないの、という感じの、良い意味での作品の投げ出され方が好きです。こちらの方が当たり前のはずなんだけどね*2

*1:実際にはそれは酔い止めの薬で、眠剤ではないのだが

*2:最近の売れる本の売られ方に、本当に心底辟易中…ははは