FK研究所。

 やべっちFCでFK研究所をやってましたよ。今回は阿部っちこと阿部勇樹選手。一部で和製ベッカムの異名も取った阿部選手のFK研究所は、彼本人の説明が実に微笑ましくてよかったです。「感覚で蹴ってるので、よく判んないですけど〜」(笑)。でも、まあ正直なところ、そうだろうね! サッカー選手はボールを蹴る練習をする時、いちいち鏡を見て確認するわけじゃないし。今まで出演された他の選手より、ある意味で一番正直で素直なコメントを聞いた心持ちがいたしました(笑)。阿部ちゃんらしくてよかったよ(*´Д`)。



 しかし私、本日やべっちFCのことなどすっかり忘れて、まったり外出しておりまして。しかも真っ直ぐ帰ればいいものを、矢も立てもたまらずコンビニで老アカギの死に様を確かめたりなどしておりましたら*1、気付くと23:25になっておりまして。坂道を高速歩行して、慌てて帰ってきました。阿部っちのFK研究所に滑り込みアウト(笑)で帰宅しました。ピンヒールが潰れんばかりの勢いで坂道をがんがん登って、ブーツを玄関先に殆ど放り出してTVをつけたのが42分とかじゃないかと思うんですが、半分くらいは見れたのかしら。

 さて私はサッカーは学校の球技大会で、なんちゃってサイド*2と東邦?ごっこ*3をした他は、サッカーのサの字も蹴らないような人生を送ってまいりましたので、サッカー選手のリフティングなどのボールさばき、そして華麗なFKなど見ると、「もう何がなにやら!」くらいしか感想が持てないほど、異次元の驚きや感心を抱きます。そんな私は、やべっちFCにおけるFK研究所が非常に好きなのです。訳が判らないものを、多少なり判ったような気にさせてくれる、というのが好きである理由の一点。もう一点は、それぞれの選手のフォームがそれぞれ、大変個性のあるものだということが、じっくり観察できるからです。もう毎回毎回、正直不思議でならないのです。同じような位置から、同じような位置に狙って蹴っても、選手それぞれで全然フォームが違うということが非常に面白くて、毎回噛り付くようにして見てしまう。



 不思議というか、私の中で、すごく異質というか。上手く言えないのですが、「フォームは違う」のに、「(ゴールという)同じ結果」が出るということが、すごく新鮮で、面白いことのように映るのです。多分これは私が10年以上、モダンダンスを踊って来たことに由来する感覚なのだと思います。ダンスにおいては、まず最初に「フォーム」、そして最後もやはり「フォーム」です。ダンサーそれぞれに個性はありますが、しかし素人が練習していく上で、基本の「美しい、理想とされる形」は一つしかない。そのたった一つの至高の形を求めて、練習を積み重ねていく。「フォームが違う」ということは、ダンサーの場合、「外からは違う(あるいは間違った)振り付けとみなされる」という観念な訳で、つまりダンスというものの中では、*4「フォーム」、それそのものが求めるべき「結果」なのです。だからサッカー選手にとって当たり前の、「フォームが違う」のに「同じ結果」が生まれる、「フォームが違う」ことが許される感じが、どうも新鮮で、すごく自由で眩しいもののように感じられるのです。サッカー選手の体の使い方と私が経験してきたダンスの体の使い方とは、外から見られる違い以上に、そうした部分が真逆にあるのかもしれません。

 誰がどういう体の使い方で蹴っても、求められる結果が生まれればそれでいい、「形が自由」だということは、だからこそすごく難しいことだなぁと思います。たとえば指導者は各自の積み重ねる練習に対して迂闊に口を出せない範疇が出来るということかもしれないし、選手はまるきりゼロの地点から、自分自身で「結果を得る為のフォーム」を完成させなければならないから。
 ただFK研究所に出演するような選手は、自分の意のままにボールをあやつる為の「正確さ」を常に求められる。そうした中で選手の体には、同じ場所から同じ的を狙う時、必ず同じ結果を出す為の「形」が、自然染み付いているのだとも思います。
 一つの「結果」を生み出す軌道、それを描く為の動きは、常に一定している。完全に完成されていて、何度繰り返してもそこには少しもブレがない。彼等のFKの正確無比さは、そうしたブレのなさが生み出す「結果」です。
 そうだとすれば、サッカー選手の体の使い方にも、「ある一定の形」はあって、「美しい・至高する形」は一つだと言うことも出来る。それぞれの選手に、それぞれ別の形の「絶対的なフォーム」があるということ。


 サッカー選手の体の使い方、とりわけFKを蹴る時のフォームは、それを武器としている上手な人ほど、どこか独特の癖があるように思います。軸足やインパクトの位置とか、足の振り抜き方、本当に千差万別。同じ選手の同じ動きを、繰り返し見ても飽きません。すごく個性があって、それぞれが唯一無二の「理想の形」を持っているんだなぁと思うと、これは結構すごいことです。それに毎回うきうきとして、新鮮に感動してしまう。なんだか全然上手く説明出来ませんが、すごく素敵ですごいことだと思うのです。
 サッカーではよく「型に嵌らない」って言いますが、これは本当だなぁ。形を求めるダンスと違って、得点という結果を求めるサッカーには、そういう部分での自由度が高くて、だからこそ見ていて面白いのかなぁと思ったりします。これから育ってくるサッカー少年少女が、自由に楽しんでサッカーしてくるといいなぁ。人に教えられる形をなぞるサッカーなんて、きっとつまらないもんね。いやダンサーを目指す人はまずは形から入って欲しいし、サッカーをする中でも、「いいお手本」はいくらだって真似してなぞってうまくなって欲しいと思うけど!

*1:どうでもいいよ!

*2:素人女子のサッカーは、全員がボールに密集する習性がある。そこにたまにサッカーできる女子が混じっていたりすると、その人がボールを持っても囲まれている上、パスの出し手がない。そこで、密集地帯に足を踏み入れたくないだけの理由でライン際でぼーっと立っている私に、なんだかんだでパスが出てくる。しょうがないのでそれを適当に、センターに走り込んだ方にもう一度戻す係を、便宜上なんちゃってサイドと呼んでいた

*3:キャプテン翼の東邦を真似る遊び。GKをやっていた友人が若島津くんで、私がたけし役。「上がれたけし〜!」「はい若島津さん!」お友達のお姉様直伝。超地味なヲタクの遊び

*4:言い切ることには語弊がありますが、敢えて言うと