舞城王太郎「阿修羅ガール」

阿修羅ガール (新潮文庫)

阿修羅ガール (新潮文庫)

 三島賞受賞作。
 確か舞城が初めて、有名な文学賞を受賞した作品だったのではないかと記憶。賞を取るの取らないのというのは、本当は別に大したことではないはずだと思うけれど、権威ある賞を取ることによって、より多くの人に読まれる作品・作家になる、という側面は確かにある。舞城は特に毛色が変わっていると思われやすいだろうだけに、三島賞を取ることで、多少なりそうした誤解や偏見を払拭することが出来たのではないかな。知らないけど*1



 大して舞城作品を読んでいないので、少女が主人公の作品はこれが初めて。舞城らしさを失わず新鮮で、そして非常にガーリッシュな色も出ていて面白かったです。主人公が少女だからなのか、暴力的な描写も比較的*2少なく思え、既読の舞城作品以上にとっつきやすく、読みやすかった。
 ただ「とっつきやすく、読みやすい作品」だったという印象だから、じゃあ「判りやすい」のかと言われると、それは正直よく判らない。まあ少なくとも「九十九十九*3」よりは、はるかに簡単です。九十九十九が難解すぎだからな。



 舞城というと、まず印象的なものとして上がって来るのは、言葉を投げつけてくる早さの圧倒的な量。圧倒的でマシンガンのように繰り出されてくる言葉は、一部で「文圧」とも言われているくらいで、冒頭から一気に作品世界に引っ張り込む、強引なほどの力。目に見えて判りやすい舞城の特徴の一つは、やはりこれ。私が既読の作品*4は、作品が一人称で語られており、主人公が脳内で思い浮かべる取り留めない思考までを、息継ぎもしない勢いで*5取捨選択せずに一気にまくし立てるように綴られる。この「阿修羅ガール」でも、まずは冒頭の一文で、引き込まれた人は多いと思われる。
 この作家の凄さというものは、その圧倒的な文圧が、作品全体において、一貫して減退しないまま投げつけられる、停滞しない、そのスピード感ではないかと思われる。あれだけ奇想天外な大風呂敷を広げるだけ広げておいて、全く減速せぬまま着地点にしっかり帰着させられるのは圧巻。冒頭一行目から一気に加速したスピード感を最後の一瞬まで殺さない為に、最後まで加速したまま着地させる為に、舞城は作品を全くといっていいほど「説明しない」。最低限の状況、最低限の心境変化をだけに絞込み削ぎ落として、語りたいこと、語るべきことをのみ語って終幕する。この潔さが、あるいは他の作家との違いなのかな。普通に読んだら、ものすごく危険な綱渡りなんだが、あの文章の勢いでがんがん攻める手法で、それに気付かせない感じがあるよなぁと思う。

 今回も奇抜な大風呂敷を「これでもか」と広げておいて、最後の最後で一気に畳み込む手捌きに圧倒されましたよ。全三章で構成されていて、二章が三部構成になっているのだが、それぞれが全く別の世界のお話みたいに、異質な小話が並べてあって、一向に説明なし。説明のないまま二章三部で、手数をかけずに一気に畳んでしまう。三章のエピローグを読むことで、かろうじて全体に起こっていた事象を推察できるという仕掛け。勢いがあるので、本当に最後まであっという間。
 個人的には、三章でほのぼのと描かれている「あの情景」をあっさり用意出来る点で、私は舞城をすごく好きだ。舞城作品の何がしかの感想を上げる度に、この手のことを繰り返し言っているのですが、今回もやっぱり言おう。あれだけ色々暴力的で残酷なシーンや、現実離れしたハードな状況を主人公に用意しながらも、最後には現実世界からSFばりの世界に飛んでいる主人公が、何がしかの形で「現実」を取り戻すという結末が、舞城作品には必ずある。それがすごくいいよ。本当にいい。
「現実」と書いたけど、これは必ずしも「リアルな現実世界」を指して言うのではなくて、いわば主人公なりの現実というのだろうか。たとえば夢の世界でも、妄想でも、要は主人公がその精神世界の中で、ちゃんと足元を見つめて、足を付けて、「次のステップ」を目指せる状態になっているということが、本当の意味での「現実」なんじゃないかと思うんだよね。どこでどんな風に生きていても、自我がその世界における「現実」を生きているということ。舞城作品には最近には珍しく、読後に大きな達成感とか爽快感を感じられるような、そうした「地に足の付いた結末」があって、それが世間的にも評価される理由なんじゃないかなと改めて思う。
 今回も作品の最後の一文で、主人公が本当にいとおしく思えて来ます。






 ところで文庫版には単行本には未収録と思われる、三島賞受賞記念短編が追加されており、私はこれが非常に好きでした。一応、阿修羅ガールのスピンオフという風にクレジットされているけれど、特別阿修羅ガール本編との絡みはないようです。ただ、あの作品における世界観・テーマ性というものが、作者の中では共通項として存在するお話なんだろうなと思う*6
 人は多分誰でも暗い、底の見えない陰のようなものを持っていて、それぞれのやり方でそれと折り合いをつけながら生きているんだよね。折り合っていく、そのやり方。その描き方が、このお話は他の舞城作品に比べて、現実的で、ぶっ飛んでない。そういう意味で、非常に判りやすいお話だなと思う。短編だからなのか、舞城の作品としては、びっくりするほど手触りの優しい、胸の底がじわっと暖かくなるようなお話に仕上がっています。

*1:いい加減だな!

*2:あくまで比較的

*3:読みは、ツクモジュウク。清涼院流水著、JDCシリーズの公式パロディ作品…でいいのかアレは

*4:煙か土か食い物、暗闇の中で子供、世界は密室でできている

*5:それは即ち、小説的には句読点・改段落も挟まぬ勢いでという意

*6:もっとも舞城作品は、作品の舞台になる場所が福井県であったり東京は調布市であったり、全体に共通しているので、否応なく世界観が共通の土台を持って見えるのではあるけれども