アカギを見た。

とうとう満を持して?「アカギ」を見ました。 今 更 。



いいじゃないの、面白いじゃないのアカギ! 



いやーなんだ、噂には聞いていましたが、あの作者独特の平面的で尖ったデフォルメが、あれほどアニメらしく立体的に動いてよかもんでしょうか。それだけで一見の価値ありという感じがしました。よくあれだけ立ち上がったなぁ…。素晴らしいぜ。しかもああした作品に漂う独特なテンション。ああ、やべぇ素直に面白いんじゃないの(笑)。やみつきになりそうな予感。



麻雀が判る人間だったらば、私は最初からアカギを見ていたかもしれないし、それより何より、今頃普通にアサ哲*1を読んでるだけどな! 「麻雀放浪記」すらドロップアウトしちゃったような人間だからな…。

でもヴィジュアルでがんがん圧倒して引っ張ってくれるから、麻雀が全然判らなくても「われめ」や「アカギ」は全然平気。普通に楽しめるよ。それが「想像する表現媒体」の文章と、そうでない媒体との決定的な違いのような気がする。判らないものでも、「百聞は一見にしかず」だから、映像やアニメ・漫画は入門の間口になりやすい。



まあしかし今のところ全く麻雀の判らない私は、作品の中で行われていることが、半分くらいしか理解出来てません。にも関わらず、何故にこんなに麻雀アニメを面白く感じるのか、我ながらちょっと変ですけど。でもよくよく思い返して見れば、私は以前から全然麻雀が判らないにも関わらず、「われめでポン」が大好きで、たまに噛り付いて何時間でも延々と見ちゃうような人間なんでした★

多分、「自分が全然知らない世界」における「表現」が、すごく面白いんだよね。これは別に麻雀に限らない話で。車でもいいし、格闘技でもいいんだけど、普段自分が触れ合わないジャンルの中では、自分が普段使わない言葉や、普段使っている言葉であっても、思いつかないような場面での使われ方や、ちょっとニュアンスの違った意味合いで用いられることがあって、それがすごく新鮮に聞こえて面白い。それが、真剣な場で熱く語られていれば尚面白いのでした。そういう意味で、青年誌系漫画の文法は私にとって興味深くて面白いことが多いわけなのですな。



主人公が萩原*2というのも個人的に堪らない抜擢だし、OPがなんと古井戸(!)。渋いと唸る他ないセンス。そしてEDもマキシマムザホルモンが書き下ろしているという、あの枠における特有の贅沢さを充分に醸しているアカギに、とりあえず今更注目です。
今季の深夜系番組で、私の周囲が最も食いつかなそうな番組だ! でも私は食いつくぜ。ハングリーハートにもエアマスターにもバキにも前のめりに食いついた私だからな(笑)。アカギばっちこーい!

*1:阿佐田哲也の意。麻雀などの娯楽作品を執筆する際の、色川武大の別名義。

*2:われめの常連であることは、今更言うまでもない…