たがための日記。

 今日は別に、取り立てて書くネタがない一日です。なので、だらだらと思い出したことを書いてみました。

 ネタがないなと思いながら、そういえば私は小学校の低学年の時。学校で毎日日記を書かなければならなくて(毎日提出の義務がある)、「書くことがありません」と素直に一行だけ書いて提出したことがあるのを、ぼんやり思い出しました。
 意固地に「書くことがない」と書いた日記が、手元に戻って来ると、そのページには、
「なにかあるはずですよ?」
 赤字で、そう窘められていた記憶があります。
「なにかは当然あったには違いない、しかし取り立てて書こうと思うようなことは何も無く、またもっと積極的に言えば、『誰か(この場合は担任)が読む為にだけ書かれるような日記』に書くだけのネタなぞ無い。つまり私は学校の提出物に対しての『サービス』の努力をする気力がない」のだと。内心で毒づきつつ、しかし次の日からはまた今まで通り、普通に色々日常の何気ないことを適宜捏造して提出するようになりました。かわいげのない子供です。が、ある意味では非常に素直だし、割り切って日記を書き出した点だけは、大人な対応(笑)だったかもしれないと、思ってみたりもします。今なら絶対にそんなもん、書きたくないからね。
 大体なんで日記を人に提出せねばならんのだと思う。勿論、子供になにか毎日文章を書かせる、その勉強の為の課題だったのだとは、勿論判りますけどね。それが子供心に判っているから、面倒くさくて、反抗したくなったんだろうな。子供だな!
 でも、「人に読まれる」ことを前提にして書かれる文章なんか、それは既に日記ではないと思うのね。なので、仕方が無いのでエッセイ(当時は当然、そんなジャンルは知らなかった訳ですが)のつもりで、他人の目線を意識して文章を書くようになった。もしかしてそれが、私の文章の始まりなのだろうか。読書感想とかもさ、よく考えればつまんない宿題だよね! 今頃、必死こいて課題図書を読んでいる皆さんは、ご苦労様ですね! そろそろ夏休みも終わりですよ。

 多分、子供って、すごく冷めた視線を持っている生き物だよな。素直ゆえに冷めているのか、なんなのか、よく判らないけど。私は子供の時の方が、何かと大人だったし冷静だったし、人あしらいも長けていたのじゃないか。そんな風に考える今日この頃です(苦笑)。

 あ、ちなみにここにあげるような文章は、趣味。あるいはストレス発散だよ(笑)。