「外からの目」。

 今年も某学校のダンス部に、アシスタントに付くことになりました。このところ夏は毎年です。今日、今年になって初めて練習見学に行きましたが、去年の今頃に比べたら、それぞれにすごく上手になっていて、毎年ティーンエイジャーの「一年」の重みに気付かされます。すごいなぁ、ちゃんと成長してるなぁ。なんというか、正直な話、冷静な視点でみれば、めちゃくちゃヘタクソなんですが(苦笑)、でも彼女達なりにダンスがこなれてきてる。客観的な視点で上手いとはお世辞にも言えないけど、でもすごく上手になったなぁと思うのです。

 私も決して上手な人間ではありませんでしたが、彼女達の練習を見ていると、体を自分の思い通り意識して動かすということが、どれだけ難しいかということを改めて考えます。
 特にダンスとかみたいに、誰かに見せることが大前提になっているスポーツ(?)では、「自分でやっている」ということと、「外から見える」ということが、一致しなければなりません。自分でやっているつもりでも、外からそう見えなければ、それは「やっている」とはみなされない。これが他の、いわゆるスポーツとは決定的に違うところ。
 サッカーなんかで言えば、たとえばFKを蹴る時。最終的な目標が正確なキックを蹴ることであるサッカーは、「正確に飛ぶ」のなら、どういうキックフォームで蹴っても構わない。それぞれの選手が、それぞれやりやすいやり方で蹴ればいいだけの話です。でもダンスは、そこに形そのものが求められる。これをサッカーに照らすと「正確に飛んで」も、蹴り方が悪ければ評価されない、みたいなことかな。無理やりにたとえすぎですか(笑)。

 ともあれ、ダンスというのは形が大事なので、足の上がっていない子に足を上げてと指示を出して、「上げてます」と答える子がいた場合。「じゃあ貴方の認識と感覚以上に、もっと上げて」と伝えます。冷たい言いようですが、貴方の感覚の「上げた」では、外から見た時に足りていませんよ、ということ*1。外からどう見えるかを、きちんと判って踊れるようにならないといけない。どれだけ練習して踊っても、外からはどう見えているかを量る目(というか意識)が身に付かなければ上手くならない。鏡を見るのはその為で、現実の自分と、認識とを一致させる為に見るわけです。
 もうダンスを辞めて何年も経つからなのか、最近の私は「外からの目」という意識が、薄くなってきているなと反省したりしています。

*1:いや実際はこの主旨のことを、もっと優しく言いますよ?!