野沢尚「龍時 01-02」

龍時 01-02 文春文庫

龍時 01-02 文春文庫

 おりしも現在は、四年に一度のW杯開催中。ユー、たまにはサッカー小説、読んじゃいなよ★ みたいな感じで大変今更ではありますが、「龍時」です。読んでみましたよ。

 思えば私、これまでまともに「サッカーを扱ったフィクション*1」を、読んだことがなかったのでした。小説に限らず、有名なサッカー漫画なんかも読んだことがない。そもそもスポーツに関するフィクションに、あまり触れ合わずに育って来たのだなぁと、この本を読んでいてそんなことに気付きました*2

 スポーツを言葉に落としてくる作業って、ある意味で漫画にするより難しいと思うのです。本を読む人の中には、サッカーをしたことのある人もいるけど、サッカーをしたことのない人もいる。前者には興醒めしないリアルさが、後者には想像のイメージで補えるだけの表現が求められる。
 私はサッカーをまともにしたことがない。そういう人間にとって、欲しいのは、時に実際の競技者の感じるリアルさより、「(選手は)きっとこう感じるんだろう、とナチュラルに信じられる説得力」の方です。極端な話、「実際にそう」じゃなくても構わない。文章を読んで脳裏に描くイメージが、信じられるものとして膨らむかどうか。「龍時」はそういう部分、安心してイメージを信じて、読み進んで行けた。

 サッカーのフィクション小説を、他に読んだことがないことは既に書きましたが、ノンフィクションなら、幾つかだけど読んだことがある。ノンフィクションの中にも、ポイントになるプレイを描写するシーンがあったりしますけど。私はこれまでそうしたシーンを読む度、すごくイメージを描くのに時間がかかって、その部分だけ何度か読み直したりしていたのです。これは単純に私の読解力の拙さとか、サッカーをまともにしたことのない人間だけに、イメージ力の足りなさとかが問題なのだと思いますが。この本は、本当にすんなりイメージ出来て、全然つっかかるところなく読めてしまった。
 この作品を読んで、そんなところが一番印象に残ったものだから、私のこの作品に関する感想を一言で表すとすれば

「ああ、この人、(私が今まで読んできたサッカー関係の物書きさんの中では一番)文章が上手いんだ」

 でしたよ。当たり前すぎて失礼千万だぜ!*3
 失礼ついでに告白すると、正直なところ、全然期待せず読み始めたので*4、思わぬ拾い物といった感じでした。ははは。そういう意味でも、大変新鮮で面白かった。
 両親との関係や、特に主人公と女性との関係の描かれ方*5はどうなのかなと、少し「ん?」と感じるところもあったように思うのですが、それも作品の魅力を削ぐまでには至っていない。全体に通じる龍時の「勢い」が、それを上回る力で読み手を引っ張ってくれるから、気になりません。
 サッカーの描写がリアルかどうかなんて、私には判らない。だから単純に、小説として楽しめた、ということです。続きも読もうっと。



 この本、確か「中学生はこれを読め!」*6のリストに入っていたんですよね。読んで激しく納得。これ中学生とか高校生が読んだら、サッカー(スポーツ)をしない子にも「こういうの判る」と、共感できるところも多いのじゃないかなぁ。
 ちなみに↑のリストに「バッテリー*7」も入っていたのですが。こちらも主人公が同じ中学生で、スポーツを扱った小説なので、もっと似たような印象を覚えるかと思ったら、「全然違うなぁ」というところばかりで、それもまた面白かった。
 扱っているスポーツが、野球とサッカーで競技が違うなんて理由ではなくて。なんというか、作者の視点というか、主人公や作品へのスタンスが、もう全然違っていて。比べて読むような本ではないのですが、個人的に「スポーツのフィクション小説」という同じカテゴリ*8にあるニ作品の、差異みたいなものを、色々感じたり考えたりして楽しみました。
 すごく乱暴で大雑把な言い方ですが、多分この違いは、作者が女性か男性かの違い、なのじゃないかなと思ったんですよ。「バッテリー」のあさのさんがどういう風な気持ちで作品を書かれているか、私は判りませんが。でも女性のあさのさんの書く「バッテリー」は、「主人公ありき」の小説で、「この主人公を描きたい」という情熱から生まれた「少年の成長物」なんだと思う。
 その意味で、男性である野沢さんの書いた「龍時」は、まず「サッカー」がある小説なんだと、改めて思ったわけです。勿論、主人公は龍時で、彼がサッカーを通じて成長する姿を描いたお話ではありますが、これはサッカーが主人公の小説。「サッカー小説を書きたい」というところから、この作品が生まれたようなので、バッテリーと龍時の違いは、文字通りスタンスの違いではある訳ですが。ただ、そうしたスタンスに身を置いたそれぞれの作者のやり方が、なんとなく男性的、あるいは女性的だなと、ふっと思ったのでした。これはどちらが良い、悪いという話じゃないから。どちらの作品も、それぞれに楽しめばいいことです。
 とりあえず私には「龍時」という小説が、「少年の為の冒険小説」みたいに読めました。



 ところで。サッカー云々と関係ないところで一つ気になった、というか、印象に残ったのは、主人公の龍時が「自殺(あるいは死)」というものに対して、頑ななまでに罪悪感を抱いているところ。これ、当然なのかもしれないけれど、私にはとても印象に残りました。私にそうした当たり前の自制や、両親に対する思い遣りの気持ちがなさすぎるのか…?*9
 でも十代の、特に病気や怪我を経験した訳でもない、身近にそうした人がいた様子もない、元気でサッカーをしている今時の少年。そんな少年が、あそこまで自殺に罪悪感を持っているものだろうか。
 望むサッカーが出来ないなら(スペインに行けないなら)、死んでもいい。あるいはサッカーが出来なくなったら、その時はもしかしたら自殺でもするかもしれないという気持ちを、龍時はひた隠しに隠している。「こんな気持ちを抱いていることを、両親には冗談にもいえないけれど」と思いながら。
 この場合の罪悪感は、つまり、自殺というものを真剣に突き詰めて考えたからこその感情だと思うんだよね。「サッカーが全て、それ以外は無」というくらい、それだけ主人公が「サッカーに賭けている」という風に読めばいいシーンなのかもしれないけれど。でも小説というものは*10、作者の心理を色んな意味で写し取ってしまうものだから、この作者の亡くなり方を思うと、勝手な想像が広がってしまいました…。私には龍時の死生観の描写から、野沢尚という作家自身が自殺を考え詰めた思考や精神状態がふっと一瞬立ち昇ってくるようで、そのシーン妙に生々しく浮き立って思えた。――考えすぎ、なんだろうけどね。



 わー…久しぶりに長文感想になってしまったぜー。

*1:略してSF★ …ごめん、言ってみただけです

*2:スラムダンクが、ほぼ唯一の例外かな

*3:この作家は文学賞を複数受賞しています

*4:作中のプレイをうまくイメージすることが出来ない為、私は総じてスポーツの文章描写をあまり面白く感じられずにいた

*5:即ち、作中での女性の扱われ方

*6:詳しくはこちら→【http://www.k2.dion.ne.jp/%7Esa-shibu/

*7:あさのあつこ作、児童向け野球小説

*8:一緒にすると、ファンの方に怒られるかもしれませんが…

*9:いえ、私が自殺願望を持っているというわけではないですよ、念の為

*10:というか多分、表現というものは