警鐘響く 第6節、FC東京戦。

 ロスタイムの失点で、大変悔しい引き分けとなった今節。このところ岡田監督のコメントによく聞かれる言葉がまた飛び出した。「やはり何とかなるのではという甘さが出てしまった」。その甘さ――、突き詰めきれない綻びから逸してしまった勝ち点を数え上げるには、まだ早い。今はまだ6節、長丁場のリーグ戦で取り返す術はあるだろう。けれど手を打たなければ、勝ち点を取りこぼし続けるのも事実。今日と同じような展開の試合は、長いシーズンでいつか来る。
 果たしてこの警鐘が、後の福音になりうるか。

 試合は横浜がボール支配率で56%と東京を上回り、シュート数でも横浜21本(枠内13)、東京11本(枠内4)と、数字の上では東京を圧倒。ただこうした数字上の「圧倒」というのが案外曲者で、試合の結果は既に書いた通り、ロスタイムに失点して1-1のドローとなりました。
 私は見ていないので、以下のエントリはこの数字や見に行かれた方の感想等を、出来る範囲全て拾い読みした限りでのエントリになりますが。監督や選手の試合後コメント、また見に行かれた方の感想などでも一貫して、「攻撃ではいい形が作れていた」「内容としては悪くない」という評価があるようです。そして同時に、決めきれない攻撃陣に対する不満を滲ませたり、決めきれない試合でこそ大切な守備の集中の不徹底を嘆いたり。感想の表し方は色々ですが、多岐の感想の根幹にある感情はたった一つで、「決める時に決めないから苦しめられる」ということ。結果は1-1のドローですが、最後の最後で失点した引き分けは、応援していた側にとっても勿論選手達にとっても、負けにも似た、痛い後味を覚えた試合だったろうと思います*1



 この試合で幸いだったことは、おそらく攻撃で良い部分があったこと。そして良くなかった点は、追加点を取れなかったこと、そして最後の最後に集中を切らしたようにセットプレーで失点してしまったこと。
 勝手な想像にすぎませんが、この試合、おそらく選手達は先週のリーグ戦で負けているだけに、いつも以上に「勝つ」ことに強い意識を置いて、試合に入ったのではないかと思うのです。5万以上の観客の入ったスタジアムで、ホームの試合で完敗を喰らって、そうそう平気でいられるわけもない。勿論ネガティブな、後悔のようなものは捨てて切り替えているとは思います。でもそういうことととは別に、やはり選手達は、あの結果の上に、この試合への気持ちを積み上げたのではないかと思う。それは単純だけど一番ポジティブに、「今度こそ勝つ」という負けない意思、強い闘争心として。それが監督や選手のコメントなどにもあるように、「内容としては悪くなかった」という言葉に繋がった。
 また先日のナビスコ杯でもそうでしたが、今回も代表組のコンディションを考慮して?、久保・中澤は欠場。こういう試合で出場機会を与えられた選手達が、気合の入らないはずはない。隼磨の出場・得点もナビスコ杯での頑張りあってこそ、この結果に繋がっているという気がします。おそらく今の横浜というチームは、決して「悪くはない」。

 監督の試合後コメントは、二重の意味で、それを表しているように思います。

 久保と中澤がいないことは、見て分かるようにきょうのゲームでは、それほど影響はない。彼らがいなかったから引き分けたというわけではない。

 これは文字通り、彼等がいなくとも戦えることの自負と、彼等のいなかったことが引き分けの原因ではないという意味ですが。それは少し穿って考えると、「誰が出ても出なくとも、引き分ける時は引き分ける」ということを暗に指しているようにも思える。当たり前のことを言っているようですが、つまり、チーム全体がどこか集中しきれない、甘さを拭いきれないことの、遠回しな指摘のようにも思えてきます。激しく妄想でしょうか。
 監督が試合後にロッカールームで選手に言ったという言葉。

良いサッカーができても優勝はできない。最後の数分間、全員がキャプテンのつもりでやっていたか? それをよく考えてほしい

 横浜というチームは勝つことが至上命題です。二年連続完全優勝という結果の後に、「善戦した」というだけではもう許されない。横浜に求められるのは「より完全な勝利」という姿です*2
 今年岡田監督は、攻撃的なサッカーをすることを求めた。「攻撃する分、多少守備には目を瞑る」という意味の言葉は、非常に印象的でした。同時に新しい方法に挑戦して、選手が志向するサッカーを目標に掲げました。それは今までの3年間積み上げたものを捨てて、まるで違うものを作るということとは、少し違うような気がするのです。勿論、新しいチーム作りをしていることは事実なのですが、しかし同じ監督が殆ど昨年までと同じ選手で作るチームですから、それはおのずと、それまでの蓄積は残っている。
 その蓄積は、やはり「守備」だっただろうと思うのです。「横浜は守備」と第一に言われるようなチームだったことでも、それは判る。横浜にとって、守備は文字通りチームとしての根幹みたいなものでしょう。だから岡田さんの言う「新しいチーム作り」とは、「守備は今までのやり方である程度完成した手応えがあるから、今年はそれを前提として、攻撃的なチームを志向する」ということだと思うのです。しかし、その守備が揺らいでしまっている。
 より完全へと、到達する為の根幹がその「守備」なら、今揺らごうとしているものは、まさにその根底にある不分明なものなのかもしれません。「甘さ」とひとくちに言うけれど、このままの状態でいってしまえば、気の緩みといったもの以上に深刻な症状を、チームに招き入れる、大きな隙に成りえる危険な要素に思えます。
 代表の二人がいなかったから「引き分けたというわけではない」という言葉。寧ろ彼等がいないから負けたと事情の方が、ある意味で、非常に簡単です。彼等が戻って来れば解決するのなら。けれど、事情はそうではないのだという言葉に思えるのです。


 この甘さがなくならなければ、優勝には近づけない。しかしまだリーグは序盤戦。これが終盤であったら非常に大きかった。これをひとつの警告と受け止めたい。 <岡田監督:試合後コメントより>

 勝利した試合より、引き分けや負けた試合の方が問題は見えやすい。そういう意味で、この試合が序盤戦であったことは、確かに横浜にとって幸いだったのかもしれません。ただこれを本当に警告として生かせるのかどうか。もう一度、今回のような展開の試合を向かえた時の為に、改めてこれまでを振り返るということ、足元をもう一度確かめるということが、今、必要なのかもしれない。
 この取りこぼしを、まずは真摯に受け止めること。この警鐘を、後の福音に変えられるように。

*1:ちなみに私はこの日、試合の時間帯は外出中でした。リロードしまくりで充電を一気に減らしつつ、携帯実況で試合の動向を伺っていた試合。悪い予感というものはあるもので、1-0のまま終盤になった頃、とにかく早く終われとひたすら念じていた。そして何回目のかのリロードで失点の表示。試合終了の文字に、何かの兆しをぼんやり感じて、思わず本当に溜め息が出ましたよ…

*2:より完全な勝利とは何か。それは価値観によって、きっと想像する姿が違ってくることだろうと思いますが