発信するということ。

 デイリーポータルZというサイトが好きで、足繁く通っています。今日は急逝されたライターの方を偲ぶという特集。ライターさんのお名前を見て、最初ぴんと来なかったのですが、彼の記事一覧を見たら、結構印象に残っていたものがありました。ああ…あれの人か、みたいな…。切ないですね…。
 振り返るの一覧からざっと拾って読み直して、「ああ、これは!」と思ったのは、「みんなのひろしおじさん」です。「こどもの一生」*1という芝居の中で行われる、「山田のおじさん」ごっこに酷似していて、面白く読んでいるはずが、何故だか無性に背筋の寒くなる感じを味わいました。怖いよー怖いよー山田のおじさん(;Д;)!。

→ みんなのひろしおじさん(:デイリーポータルZ:日刊デイリー



 ところで、今回の彼の記事を振り返る特集で、少しだけライター陣の舞台裏がこぼれエピソードとして語られていて、そういうのに触れる機会があまりないので、興味深く拝見しました。中でも心に残ったのは以下。

林:そういえば、最初に逢ったとき、「インタビューは相手と同じ所に立って話を聞く」とか「ネットにあふれるけなし芸はダメ」とか、そういう話をした記憶がありますよ。
大塚:「けなし芸」って、何ですか?
林:一風変わっている人を、ばかにするような書きかた、ですね。
大塚:ああ……ネットによくある、「自分自身がつまらない人が、面白いことを書こうとすると、悪口になる」の法則ですね。
(デイリーポータルZ:宮崎くんの、書いたもの)

 ああ、これなんかすごく判る、みたいな感じがしました。いえ私などが判るなどと軽く言えることじゃなかろうし、おこがましいですけど。でも言わんとしていることの手触りは判る気がします。昨今、巷に溢れる若手お笑い芸人のキレ芸が、どうもなぁと首を捻る感じとすごく似ている。「見下したり、悪口で生まれる笑い」に対する安易さとか無責任さに対して、文章を売ることで*2生きているような人達がもつスタンスが、ちょっとひんやりと伝わる感じがしましたよ。
 そうだよなぁ、安易に人を見下げて「面白い」こととか狙っちゃ、後でどう足元をすくわれても、文句言えないよな…。
 別に私は文章を売って生きている訳じゃないし、そもそも「面白いこと書こう!」とか狙っている訳でもないですけど。それでもこうして人目に触れるところで文章を書いている以上、やっぱり書くことによって生まれる責任とかリスクがある訳です。誰かを不快にさせるかもしれないし、傷付けるかもしれないし。たとえばそのつもりがなかったとしても、人目に触れさせたら、それはやっぱり何かを発信したということなんだと思うからね。そうだとすれば、「発信することの責任とリスク」に対する意識を失わないことが、まずは第一歩。書くことで生まれた色々なものを、最低限負うという姿勢なんじゃないのかと、日々思ったりしています。
 …で、思っていて、お前が書いている文章はこんな垂れ流しかと言われると困るんですけど…(苦笑)。まあ、一応、忘れないことが大事だよね、という第一歩をね、戒めとして書いておいてみる次第です。

*1:中島らも脚本。ややサイコでホラーな芝居。中島らも自身による小説版もある。

*2:この言い方、語弊を生んだら申し訳ない