久保、覚醒前夜。

 久保がこうして復帰してくるまで、1年4ヶ月の歳月がかかったそうです。…確かに昨年は殆ど活躍する姿を見られませんでした。思えば彼が復帰し、またなにがしか体をおかしくするのを繰り返す間、横浜を見守る人達も、同じように一喜一憂を繰り返したとも言えると思います。そして恐らくその感情の振幅は、随分と大きな振れ幅であったようにも思います。

 さて久保のインタヴューが、このところ立て続けにTVで放送されています。来週末のスーパーサッカーでも、特集の予定が組まれているようです。代表チームも始動し、いよいよW杯に向けて、注目度の高まりつつある男、久保。横浜の今年のチーム方針を受けたものか、寡黙で通った彼も、最近目立って露出が増えています。
 28日の報道ステーション、29日やべっちFCでも、貴重なロングインタヴュー*1が放送されていました。御覧になった方も多いかと思います。福田さんがインタヴューアーとなって行われたインタヴューの内容は、何度も怪我と復帰を繰り返したことを振り返って、一向に去らない体のあちこちの痛みに、一時は「引退」も考えたという切実なものでした。
 訥々として言葉少なな久保の話し方は、それだけでいつもどこかに不思議な愛嬌があっていいなあと思うのですが、いざああした内容の話となると、朴訥だからこそ、いっそう凄みが増して聞こえます。非常に長期に渡っての離脱になったので、もしかしたらリハビリ中、気持ちが挫けて来た時には、そうした選択肢が脳裏を過ぎることもあるだろうとは思いましたが。しかし改めて彼の口から、彼の言葉として「引退」という選択肢を聞くと、やはりショックなものがあります。



 ところで上記に上げた二つの番組での久保のインタヴューを聞きながら、ふと思ったのは、「もしかしたら久保は、今まで本気じゃなかったのかもしれないな」ということです。語弊を生む表現かもしれませんが、今回は敢えそうて言ってしまう。正直なところ、「今までの久保は、どこかで本気じゃなかったのだろうな」と。
 しかし矛盾するようですが、私は久保がこれまでのリハビリの期間、怪我の完治等に対して、いい加減な気持ちだったとは思っていません。思っていませんが、でももしかしたら心のどこかには、「(恐らく今までそうだったように)まあ何とかなるだろう」という、多少甘い気持ちがあったのかもしれない、とも思うのです。今までの彼はどこかで、本当には「本気」でなかったのではないか。心底「必死」ではなかったかもしれない。



 インタヴューによると、あちこちに起きる痛みが取れず、とうとう「もういい、もう面倒だ」と半ばまで投げ遣りになって、久保は大さんに付き合ってもらって飲みに行ったようです。酒を飲んで、飲みすぎて。けれどその時、酔っ払った彼の脳裏をふと過ぎったのは、「飲みすぎた。明日も練習があるのに」という思考。その時、恐らく久保は初めて、自分の欲に気付いたのだと思います。
「サッカーしたいんじゃ」
 心の底から飢えていた自分の気持ちを、その時やっと知ったのではないかと思う。

 どれもこれも私の勝手な推測に過ぎませんが、久保はもしかしたら、「本気」で「必死」にならずとも、これまでずっと周囲とさしたる違和感もなくサッカーが出来ていたのじゃないかと思うのです。出来てしまっていた、と言い換えてもいいかもしれない。周囲の人が努力して積み上げるだろう身体性、あるいは他の何かを、久保は自然に持ち合わせていたり、さしたる苦もなく手に入れて来れたからだと思うのです。それだけの頭抜けた下地があってもおかしくない、そんな選手に見えるのです。
 極端な言い方をしてしまえば、たとえ久保が「なあなあ」でも、その場凌ぎでちょっと体に無理を利かせる程度のことで、難度の高いサッカーを実現出来てしまっていたのかもしれない。だから今の今まで、本当の意味での「本気さ」、「必死さ」*2の必要を感じずに、気付かないままで、ここまで来たのかもと思ってもみるのです。
 私は広島時代の彼に詳しくありませんが、酒を飲みすぎたり、体のケアを怠ってしまったり。久保といえば、そんなエピソードが思い浮かびます。昨今のサッカー選手が厳しい摂生を徹底することでコンディションやパフォーマンスをキープする中、周りが時に驚くほど、彼は自分の体を労わろうとしないという話を耳にしました。
 普段の生活の積み重ねが人の体を作るのなら、選手としてのコンディションや選手寿命も、きっと普段の生活それ自体に作られていくものでしょう。そしてもしそうなら、ここしばらくの久保の度重なる怪我と癒えない痛みには、摂生しきれなかった頃の生活に起因する何かが、もしかしたらあるのかもしれないとも思います。

 それでも今回の長い苦悩と葛藤の日々の中で、彼は「もっとサッカーがしたい」自分に気付いた。本当に「本気」で「もっとサッカーを」する為に、自分に出来ることがなんなのか、恐らくそれに本当に「必死」で取り組み始めた。インタヴューで語られたことは、たった幾つか。たとえば、腰にいいと聞いた話は何でも実践してみる。新鮮な野菜を摂る。体にいいなら薄い味付けも我慢する。……
 久保は出来ることは全てやって、サッカー出来る体を手に入れようと、今必死で努力している。これは今まで恐らく彼がリハビリでそうして来たような、元の状態に戻すということとは、少し意味が違う。多分、彼はサッカー出来る状態を「取り戻す」のじゃない、それ以上に本当に真剣にサッカーをする為に、それが出来るより良い状態を、新しく作り出そうとしているということなのじゃないかな。初めて、本当に「本気」で、「必死」で、サッカーがしたいと思ったから。

 決して長くはないサッカー選手の寿命を考えた時、この年齢にいたるまで、彼がそうした「本気」や「必死さ」の必要を感じずに来てしまったことは、ある意味では不幸なことなのかもしれません。けれど翻せばそれは、それだけの「伸びしろ」を、彼が未だ秘めているということでもある。人間の集中や本気は、本当にすごい力を秘めているものだから、きっと彼にはまだまだ私達にも想像のつかないような可能性が眠っているに違いない。横浜の9番がどんな時にも多くの人から注目を受け、復帰を待ち焦がれられたのは、それだけ彼が多くの人に期待を寄せさせるような「何か」を感じさせるからでしょうから。



 久保にとっての長く暗いトンネルも、やっと出口が見えて来ました。1年4ヶ月という大きな代償を、彼はやっと払い終えようとしている。久保の復活は、同時に横浜というチームにとっても暗いトンネルの終わりを告げる、福音になるのでしょう。あるいは日本代表にとっての無二の可能性になるのかもしれない。
「未完の大器」、「眠れるドラゴン」。もう長いこと、彼はそんな風に喩えられてきた。苦しんで来たからこそ、でもW杯開催の今年、久保が本当の意味で復活することを願ってやみません。これまで鬱屈していた「サッカーがしたい」という気持ちを、心行くまで爆発させる久保が、――手に追えない、覚醒したドラゴンのように暴れる彼が、今年こそは見られるといいなと思います。

 ジーコさん、そんなこんなな久保さんの体は本当に繊細な状態になっておりますので、どうかどうか無理だけはさせないでね。絶対ね。もし万一壊して返してくるようなことがあったりしたら、 呪 う よ ?(にこ)

*1:あのくらいの尺、あるいは他の選手の場合には「ロング」インタヴューと呼ばないかもしれませんが、何しろあの久保ですから…

*2:それは恐らく他の選手には、プロになった段階で否応なく絶対に身に付けることが求められる、身に付かなければ選手としての先もないというくらいのものでしょう