浅田寅ヲ「パイドパイパー」5巻
- 作者: 浅田寅ヲ
- 出版社/メーカー: 幻冬舎コミックス
- 発売日: 2005/12/24
- メディア: コミック
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あ、以下はお話の展開を語っていたりしますので、未読の方はご注意ください。
さて今回のコミックスでは、高橋の死の真相が、いよいよ瑛二に知れるという回を収録。伏線として描かれていて、当然読者には既に判っていただろうことですが、それが果たしてどういう形で瑛二に知れるのか、ということは、この作品の中で一つの重要な意味を含むシーンでした。
高橋の遺灰を彼等の修学旅行先で弔うシーン。高橋の生まれである福建にも「いつか届くだろう」と期待して、空に撒かれる遺灰の行方を追いながら、夏比古が瑛二に呟いた「いつか俺のこと嫌いになるよ」という暗示的な言葉。その本当の意味が、今回初めて瑛二自身に真っ直ぐに受け止められた回。
瑛二は夏比古を信用しているからこそ、その意味ありげな言葉の本当の意味を深く考えつめることが出来ず、脳裏に浮かぶ悪い想像から目を逸らし続けてきた。今まで身の回りで起きる様々な戦闘に、ずっとそうして背を向けて来たように。様々な事象の関係を埋める、暗い可能性を拒み、多くの出来事の意味を受け止めかねてきた。
そしてそれは夏比古が望む「瑛二」を演じる為でもある。その良し悪しは別にして、夏比古が「あの子はそっとしといたげな」と瑛二に望むから、瑛二は「関わらない」ことを適当にうまく演じてきている。身の回りであれだけのことが起きながら、平静でいることは難しい。それでも自分だけ蚊帳の外におかれることの苛立ちを押し隠して、「無関心を貫くこと」で、夏比古達との関係や距離を測ろうとしていたのだと思う。
けれど、そうしたことに限界が来ていることを、彼自身よく判っている。少しずつ自分の前にある真実を見つめ、行動を起こし始めるようになる。それは周囲のものにしたら、まだほんの子供みたいな、稚拙なやり方だろう。おぼつかない子供が戦闘に半端に関わってくるのを彼等が望まないことを、瑛二はよく判っている。判っていて、未だ彼等が自分を真実に関わらせまいとすることに苛立ち、もがき始める。
けれど「やっと自分の家が火事だってことに気付いた」瑛二は、まだまだ何も知らない。実際事件に手を染めている人間からすれば、瑛二の顔は現実の汚れに染まらない、寝ぼけた正義感に覆われているように見えるだろう。恐らく小春は嵐の渦中、まさに中心にいるはずの瑛二が呑気に穏やかな日常に埋没していること*1、そして夏比古や尼龍が時に身を挺しても大事に匿っている瑛二が、本当に何一つとして特別なところのない「平凡」な男であることに、馬鹿ばかしさを覚えたに違いない。
「平凡」であること。それこそが、瑛二が夏比古や尼龍といった仲間から大切にされる理由だろうが、「強者が全てを支配する」という理論の元に生きている小春にとって、そうした理由こそが解せないし、判りたくもない。戦う術を持たない瑛二を傷付けるのは、小春にとって虫を踏み潰すより簡単なこと。だけどそうせずに、敢えて言葉で弄ったのは、そうすることが間接的に夏比古や尼龍にとって、自身が受ける傷より「痛い」ことを知っているから。
高橋の死に直接的に夏比古が関係していること。小春の言葉は、瑛二の現実に寝ぼけた横っ面をしたたかに打っただろう。なんにも知らない瑛二が、初めて、一つの真実に触れた時。瑛二の顔から、初めて甘い表情が拭われた瞬間でもある。
瑛二が受け止めたくない真実を目の当たりにするのと相前後して、夏比古もまた、その顔を覆った「無関心」の仮面を剥ぎ取られつつある。身近にいて、本当に素の自分をてらいなく受け止めてくれていただろうしーちゃんの喪失は、夏比古の顔を覆った仮面を否応なく拭い去ろうとし、恐らく彼が生きて行く為に敢えて鈍磨させ続けた、獰猛な生*2の感情を剥き出しにさせ始めている。
ひた隠しにされて来た彼等本来の「痛点」を初めて剥き出しに描いたこの巻は、物語が大きく動き出したなと唸る展開。今後の展開がますます注目されます。
とりあえずこの巻の尼龍は素敵すぎる。巻末付録含め、素敵すぎる(笑)。