北神伝綺

北神伝綺 (上) (ニュータイプ100%コミックス)

北神伝綺 (上) (ニュータイプ100%コミックス)

柳田國男と、破門した弟子の北神が柱になって展開する、伝奇漫画。森美夏、大好きー!
「まよひが考」を再読したくなって、唐突に引っ張り出してみた。先日、ひょんなことから柳田の「遠野物語」の『まよひが』を読む機会があって、再読したくなったんですけども。この本の「まよひが考」で描かれるものは、「まよひが」であると同時に、宮沢賢治の「永訣の朝」なのでした。「永訣の朝」が収録されている宮沢賢治の本は、うちにはなさそうだなぁ…。父親の書斎を探せばあるかしら…。まよいが考は特に、物寂しい、感傷なお話なんだよね…。

大塚絡みの漫画作品を、一時期殆ど完全に追いかけていた私ですが、「北神伝綺」は大変お気に入りです。北神になんのかんの言って、「山人」や「山人の里」という憧憬を見る柳田も不器用で、人としての裏表が垣間見えて面白く、北神にまといつく女達もそれぞれに必死でかわいい。でもやはり北神の弱さみたいなものが、不意に見え隠れするのがいいんだと思うんだよね。
北神が「木島日記」の木島と比べて、かわいらしいというか、素直な人間に見えるのは(私にはそう見える)、恐らく北神が自身の立ち位置に迷いを覚えているからなんだと思う。北神の抱える不安定さは、自分の出自によるもので、それは自分自身ではどうしようもないもの。木島の場合には不安定さが後天的な理由で。世の中のしがらみや常識といったところを自覚的に踏み外してしまった意識がある分だけ、歪んでいるけど、迷いが無い。
ああ、でも北神と木島を比べて、「歪みの少ない分、北神がかわいい(この場合は愛らしいという意味より、青二才っぽい幼さがあるとかいう意味で)」と言うとすると。彼等に対峙している先生方にも同じ理論が成り立つな。北神伝綺に登場する柳田と比べて、木島日記に登場する折口は色々な歪みを抱えてしまっていて、その分、柳田先生がいっそ素直でかわいく思えるところが、私にはあります。
あ、これは実際の柳田先生とかのことではなく、あくまで「北神伝綺」という漫画における、キャラクタ化された柳田先生、という話。


どうでもいいけど、北神伝綺に一瞬出てくる木島は、結構愛らしい(この場合は文字通りラブリーだって意味)です。「ばか、お前が相手してもらえる奴じゃないよ」とか「ここから先は高くつく」とか。いちいち台詞が愛らしい(間違った感情)。それに対して「話せ。金は柳田先生が払ってくれる」って言っちゃう北神もチョーかわいい(チョーとか言うな)。狭い本屋でのアクションシーンといい、あのシーンは好きだ。

ムーちゃん*1の出てくる回辺りとかから、甘粕がもうちょっと本筋に絡んでいくところなどが読めれば楽しかったのだけど。やっぱりというか、お決まりのパターンというか、「一部完」的な打ち切り?で終わっているのが、残念でならないよ…。今連載している、昭和偽史三部作?「八雲百夜」は、無事に完結するのだろうか…*2



それにしても小口部分が大分焼けてしまってましたよ…。そりゃそうだよなあ。いつの本だ、これ! あと、何度も再読を繰り返し過ぎて、あちこちに開き癖が! いやもう、この本、大変おもしろいので、気の向いた方は是非読んでください>身内の人。お話もそうだが、森美夏の作画がまた個性的ですごいから。

*1:ムー大陸に生きた民族の末裔だと、自分のことを思いこんでいる少年

*2:ちなみにこの作品は、小泉八雲ですよ