「サッカー監督という仕事」。

先日から読んでいたコレを読了。

サッカー監督という仕事 (新潮文庫)

サッカー監督という仕事 (新潮文庫)

こういう本は、一つ一つの話題に対して、短く章が区切られていて、適当に分断読書が可能でいいね! 小説だったりすると、どうしてもある程度、一気に読み通さないとお話が台無しになってしまう。込み入った内容の本だと、一気に読めないと、内容が頭に入って来なかったりすることがあるけど、そういう心配のない本なので気楽に読めました。
ゲーム中の、とあるシーンを文章にして説明を加えて書き起こす、という部分があるのだけど、なるほど文章にすると、こんな風になるんだなぁと。当たり前といえば当たり前なんだけど、確かにそうなる。文章にすると5行とか10行とかのそのプレイは、でも実際ピッチで起こる時には、本当にはコンマ何秒の世界なのがサッカー。文章という表現媒体が「速度」を書き表すことの難しいジャンルなのだと、改めて気付かされます。
勿論、文章は文章なりに、速度を出すことは出来る。そこだけ意識して、センテンスを短く短くして畳み掛けるとかが、オーソドックスなやり方だろうと思うけど、この本の場合は、速度を書き表すのが目的ではなく、どういう意図にそって、どういうプレイがなされたのかを説明することに意味があるので、プレイを文章化した部分も、しっかり丁寧に描写されています。サッカーに関して漠然と当たり前のように感じられていることを、改めて文章化してインプットされて、頭の中が少しすっきり納得できたような 錯 覚 がしました(笑)*1



あとは、サッカーとは全く無関係に、文章そのものに注目して読んでしまった気がする。小説ばかり読んで来たので、こうした文章が目新しいのだと思う。

一番意識がいったのは、カタカナ(外来語)の多用。
言語の壁をなくす意味でのサッカー言語の共通化(なんと言い表すのか、上手く思いつきませんが)を意識して、効果として敢えてそうしたのだろうと推測するのですが。かっこ()で括って意味を書くようなカタカナ(外来語)が頻出する文章は、久しぶりに読みました。間違いの無いように、多少難しい外来語には意味が書いてある、そういう意味では大変平易な読みものなのだけど。その頻出するカタカナを日本語に置き換える書き方をしたら、どんな風になるのかなと考えたりもした。

これはジャンル:評論なんだろうか。評論というほど硬い文章でないし、敷居の低さが実にちょうどいいこの感じ。なんだろう。――コラム、かな。うん、コラムだなと思いました。コラムをまとめた部分もあるんでしょうから、当然なのですが。ちょっと(いや凄く)気合の入ったサッカーコラムでした。コラムだと考えたら、あの文章の感じもすんなり頭に入ってくるのかもしれないなぁ。
書いてあることも興味があるし、楽しく読めるので、他のサッカー関係の本を今度も文章を意識して、ちょっとまた読んでみようかなと思います。所謂現代文学でない、ということが、今結構面白いような気もしてきました。

*1:私ごときが納得したなどと言ってしまってはおこがましいので、敢えて錯覚と申し上げますよ