本日のデザート

 今週のご褒美(と言って自分を甘やかす)。NYチーズケーキとカフェラテ。
 以下は、いつもなにげなく思うことを、自分の脳内整理の為にまとめる。

 お友達に「ツチヤ、サッカーに嵌って以来、楽しそうでいいね」という主旨のことを最近よく言われる。うん、楽しい。毎日一喜一憂。自分でも吃驚。でも本当は、私みたいな人間がこんな風に、自分が成すこと以外のことで(サッカーという、他人が努力しているものを見て間接的に)楽しむなんてことを、してはいけないのじゃないかということは、よく考える。
 こんな風に、人様が頑張っていらっしゃるのを見ていることだけで、間接的に自分がなにがしかのことをして、さも経験したように楽しんだり、幸せを感じたりしてはいけないのじゃないかと。本来喜びとか幸せとか、楽しいと感じる出来事は、自分が努力して勝ち取るべきものなんじゃないかと思っている節があるので、何一つとして努力をしていない私が、サッカーを見るだけで楽しいだなんて、自分を甘やかしている! というように感じて滅入ることがよくある。これでいて。これでもっと積極的、且つ能動的に、サッカーに関わろうとしているならば、話は別だと思うけど(例:サポを自認して、自分なりに応援に精を出す、等)。
 別にサッカーだけに限らない。自分が仲良しな誰かとか、好きな誰かが幸せになったり、楽しそうだったり、喜んでいる姿を見ることは、私も楽しいし、本当に嬉しい。でもそれは「よかったね」という純粋な祝福の気持ちなのであって、それを自分の掴んだ幸せと取り違えてしまうことは、少なくとも私にとって、どちらかといえば自分に許してはいけないことなんだと思う。自分が楽しむこと、幸せになることって、気持ち一つなので、実はとても簡単な瞬間があるのだけど、それは自分の努力によって齎したものじゃなくて、周囲の人が気を使って私に優しくしてくれているのかな、とか考えると、ある一瞬、とても楽しいと感じていた自分を、ものすごく反省しなければいけない気持ちになる。
 上手く説明出来ないのだけど、ふとした瞬間に我にかえって、そういう風に考えて落ち込んだり、幸せに感じたり、楽しいと感じれば感じた分だけ、かえって凹むことがあるのだけど。そういう思考のことを、精神科の一部の先生方の中で「幸福否定」と呼ぶのだと、最近知りました。不勉強なのでよく判りませんが、そ、そうなんだ…。幸福否定…。
 まあ多分それくらい、今が楽しいってこってす。贅沢の極みだなぁオイ…。