幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門

 なんか気力が費えたというか。本当はまだまだ色々やらないといけないこともあるのに、まるでやる気を起こせないまま、ぼんやりアンニュイな一日を過ごしました。あー。だるがってばかりもいられないので、だるいまんま、どうせなら撮っておいたビデオでも消化しようと思い立ち、ビデオを見始めたはいいが、最後まで見たらかえってアンニュイが増しました。ああ、そりゃアンニュイも全開になるってもんさ、見たビデオが幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門だもんな…。これでせめてシティボーイズだったら良かったんだが、こちらは録画し忘れました…(´Д`;;)。
 時間と気力のある時に感想をかければいいなぁ、とか言っていると絶対に書かないので、頑張って初見の印象をメモに残しておく。
 つまり、微妙にネタバレ。万一にもこれから見るという人は要注意。


 まずは舞台装置が凄かった。三方全てが急勾配の階段で囲まれたすり鉢状。通常の階段ので二階分はありそうな高さがあって、平面のアクティブエリアは前面に残されたごく小さな部分のみという、役者にとっては大変体力を要する装置。当然といえば当然な話、途中踊り場のような部分は作られていないので、上から駆け下りてくると、結構怖そうだなと思う(苦笑)。
 内容は、敗走する将門とその残存勢力のお話。彼等の構図と、連合赤軍浅間山荘といった辺りとを暗喩した状況設定と演出になっていた。要所要所で鳴るヘリの旋回音や、わんわんと響く拡声器を通した声。上からばらばらと大量に降ってくる石の欠片。暗喩というよりはっきりと表立って、露骨にそちらのイメージと重ね合わせている訳だが、私は連合赤軍とか浅間山荘事件とかに対して、あまりにも不勉強であるからなのか、単純に「そうなんだろうな」ということを思いはしても、さほどそちらのイメージが強くなることはなかった。良いのか悪いのか、私には単純に将門とその残存勢力、そして統率者となる者の抱える孤独、その孤独の前に自らの立ち位置を必死で探そうとする周囲、といったような部分にのみ、意識を向けて芝居を見ていた。
 休憩を挟んだ二部構成だったのですが、一部で死んでいく五郎が実に素晴らしかったよ。高橋洋、恐るべし。そしてそれ以上に、段田安則が素晴らしい。何度か同じ笑みを見せるシーンがあったのだけど、こっちの胸を鷲掴みにするような笑い方で、釘付けになった。静まり返った目とか、優しいのか酷薄なのか判らない口許とかが堪らない。その底に沈めた感情を思ってぞっとした。同時に、甘い疼痛みたいなものも、胸の底に渦巻いた。うまい。やはり芝居とは、役者を見る為のものなのだ。段田安則の浮かべたその表情に、この芝居の全てが凝縮されていたといっても、私にとっては過言でない。素晴らしい芝居の出来に大変満足した次第。
 正直な話、人々の畏敬の対象となり、狂気にとり憑かれた将門と、その参謀で幼い頃からの親友でもある三郎、という構図が、「駆け込み訴え*1」のイエスとユダの構図を思い出してしまって参った。私的に、非常に弱い図式。好きで堪らない図式。そしていつだって絶対に肩入れするのは、ユダの方で、三郎の方(苦笑)。そういう部分でも、色々思うところの多い内容を扱った芝居だったので、また期間を置いてじっくり見直したい。
 それにしても清水邦夫作品は、どれもタイトルセンスが秀逸だ。台詞も、当たり前だけど言葉の一つ一つ、その端々にまで気が使われている感じ。冒頭、ゆき女の台詞で語られる「幻が白い」だったかな?。こういう感覚が素晴らしい。いえ、私如きがおこがましい言い方ですけど!

*1:太宰治、著。