「BEAST IS RED〜野獣郎見参」

 のビデオを掘り出して鑑賞した。1996年だって。古…ッ! ああ、どうりで古田・右近辺りが痩せている訳だよ(笑)。つか、主演が橋本さとしですから。本当に懐かしすぎる。私の初・新感線体験の芝居だったので、この舞台には大変思い入れがあります。大好き!

 触れ合った最初の作品という意味でのインパクトが、やはり大きかったとは思いますが、今でもこの作品冒頭の、名を問われて野獣郎が名乗りの見得を切るシーンが本当に大好き。鳴り物の音と、同時にライトがぱっと集まって、言う台詞が、コレ。

「男は殺す、女は犯す。金に汚く己に甘く、傍若無人の物怪野獣郎とは、俺のことよ!」

 判り易すぎる(笑)。この「けれん」が堪らんかった。



 にしても、やはり身長の高い人はいいね。主役の橋本さんという人が、身長の高い役者さんだった訳ですよ。身長が高い、当然手足のリーチが長い*1。長い髪と衣装をこれでもかと靡かせて、殺陣での得物が長い刀*2と来れば。そりゃ見場もいいわ。
 羨ましいほどですから。それだけ揃うと無条件でかっこよく見えるからね! 橋本さんがかっこよくないって言ってるわけじゃないよ(笑)。普通でも見場いい人だと思うけど、それ以上って意味ですよ。



 私は新感線を基本、全然知らない人間なので、漠然とした印象で語るのですが。
 ちょうどこの芝居以降が、現在の、いわゆる商業演劇系への転換時期になるのじゃないかなと思った。実際「商業」になるのだから、小劇場の枠に収まっている必要もないし、派手にやれる劇団である新感線が商業演劇や映像の辺りとの関係を模索しながら、芝居を打ち続けていくのは、勿論すごくいいことだ。映像等で有名な役者が客演に来ることの話題性で、普段芝居に縁遠い人も、生で芝居を見るきっかけにもなるだろうと思う。
 ただ、私個人の印象としては、舞台も基本は素の板で、セットというセットもない舞台だった、この「BEAST IS RED〜野獣郎見参」には、現在の新感線の素地がもう充分に備わっていると感じた。だから最近の新感線の舞台に関する話や劇評的なものに触れる度、「このままでも充分面白いのに」という気持ちもまたちょっと思い出した。
「このままでも面白い」ことと、「やろうとしていること、やりたいことへの追及」とは、全く別の問題なので、そう感じることはちょっとおかしい。でも作りこまれた大きなセット、デコラティブさに磨きのかかった衣装、客演の頻出などを見ていると、ある瞬間不意に、「もっとシンプルな面白味」があったのでは、と考えてしまう、贅沢。
 美味しい料理を出されて、「あ、これ素材だけでここまで手をかけなくても、絶対美味しい!」と思うことの複雑さみたいなものを、ふと感じたものです。
 客演もいいし、大きな箱も悪くない。そもそも、コッテコテのボケとツッコミが身上である新感線に向かって、シンプルも何もないもんだけど(苦笑)、たまには劇団の役者だけで、身一つでお客に挑みかかって来るみたいな、「剥き身」の芝居が見てみたいと思う。成長して来ただろう新感線だから、今だからこそ、役者の技量が全てみたいな公演があっても面白い。
 …いや、もうやってたらごめんだけど(´Д`;;)。

 私が芝居に求めることは、つまりは「芝居らしさ」という幻想なのかもしれない。それでも、生身の役者の痛かったり暑苦しかったり(苦笑)するような「生々しさ」って、結局、削ぎ落とされた芝居の方に、より強く感じられるから。舞台の上で汗をかき、涙を流して「生きている」役者が見たい。単純な欲求なんだと思う。

*1:顔も長い、と作中でばしばし言われている…(笑)。

*2:正確に言うと普通サイズの刀を二本、柄頭の部分で繋ぎ合せた刀状の武器。持ち手が真ん中で、その左右に長い刃先がある、というか。通じますかね。殺陣シーンでの動きで言えば、刀での動きの切る突くに加えて、槍状の武器での、大きく振り回して払ったりというような動きが足されて、普通の殺陣以上に派手!