「パーム (29) 午前の光Ⅲ」

パーム (29) 午前の光 (3) (ウィングス・コミックス)

パーム (29) 午前の光 (3) (ウィングス・コミックス)

 とうとう「午前の光」が完結。なんとなくすっきり終わった感がしないのは、最後の最後のコマで、ジェームスの見せていた表情が、明らかに次の自分へのハードルを見据えている決然とした表情だったからでしょうか。ほっとしたというより、「待て次号」といった印象の完結でした。しかしこれでパームの探偵シリーズが全て完結したことに。いよいよ…本当にいよいよシリーズも終わりが見えてまいりました…!
 お話の最後の方で、カーターの妹のジョイが「複雑な家系を調べて小説に書く」と言っている台詞があるところを見ると、彼女の書くだろう小説が、次に物語られるだろうパーム*1の流れそのもの、語り部のようなものとなって、進んでいくのかな。今回の「午前の光」ではジェームズの出生が明らかになり、次回はカーターとその両親との確執を描く物語になるのだろう。



 パームという作品を読んで、いつも感じるのは、「いわゆる日本的な漫画とは一味違う」印象があるということ。これはいい意味で、そう思う。この作品が独特なのは、その絵柄もそうだけど、恐らくモノローグが殆ど完全に排された、非常に客観的な視点が作品に一本通してあることと、そして「どうしようもなく家族を描かずにはおかないところ」なのではないかと思う。この、『「どうしようもなく」描かれる「家族」』というのが、私の中でパームらしさそのものとして映る。結構大きな要素だなぁと、改めて思っている。
 ジェームズは実際の親が誰かという謎、叔父で育ての親であるネガットとの確執を背負っていることは勿論として。カーターの従兄弟のシン、遠縁で同居人となるアンジェラやアンディ。彼等の関係を結び付けているのは血縁であるという部分だし、そのカーターも両親との苛烈な親子関係の過去を背負っている。
 人間が一番初めに、一番親しく接しあい、決して断ち切れないのが親子という関係だから、彼等は勿論、誰だって多かれ少なかれ、親子関係に悩みを抱えたりしているものだ。そして、そういう「親子の関係性」を、どうしようもなくつまびらかに語られてしまうところが、なんとなく日本的でない、という感じがするのだ。日本の作品でも親子を描く作品はあるし*2、日本という文化や土壌だからこその親子関係を描いた作品も、多くあるだろうと思う。でも「日本人の、日本の家族」は、そして日本の「家族の問題」は、なんとなくもっと秘されたところがある気がする。もっと違う、別の背景(例えば歴史とか)と絡めて描かれていたりする印象が強い。うまく言えないけれど、日本の家族を扱った作品は、その家族の中にしか判らないなにかがあるという風に語られている気がする。だから家族でない人達は、その家族のなにかを判ることが出来ないというか、立ち入れない場所になっているような気がする。良くも悪くも。
 でもパームはアメリカを舞台にした物語で、彼等の家族や家庭という問題は、日本のそれと比べて、秘される感覚がない気がするのだ。勿論、ジェームズくらいの有名人?になってしまうと、そうしたことを秘密にしておける自由もなく、周囲が首を突っ込まざるを得ない「事件」となってくる部分もある為、一概には言えないのかもしれないが。たとえばカーターの背負っているものは、日本を土壌とした世界での物語なら、つまびらかにされないものなのではないかと思う。けれどパームの世界に住むキャラクタ達は、カーターの背負った「家庭の問題」に、案外あっけらかんと口を挟むような発言をしている気がする。それは、彼等の中で、「家庭の問題」が、多くの人にとって共通の問題で、困っているならその解消の為には時に積極的に意見をすることに躊躇いがないせいだ、という気がする。彼等にとって、「家族の問題」は、誰しもに「共通に背負っている問題」だから。それは同時に、「自分の背負うかもしれない問題」だという認識だから、と考える、文化的な違いによるものではないかと思うのだ。

 日本人がそうしたものに触れた時、「ここへはよほどのことがなければ、口を挟まない」「挟むべきでない」という部分に、彼等は当然のこととして踏み込んでくるという感じがする。その「躊躇いのなさ*3」が、パームという作品をして「日本的でない」と思わせるところだという風に、私の中では捉えられている。そしてそれは、アメリカを舞台にしたパームという作品らしい、良い味になっている、という風に思えるのだ。「日本的でない」という「異質さ」、それこそが、パームの魅力の一つなのではないかと思う今日この頃。



 表紙はローダ・キャラハン、ローダかっこいいよローダ。個人的には、ローダ・キャラハンがめちゃ大好きだったので、これで見納めになってしまうのかな?と思うと、それが非常に残念。フロイドとタメはる女性FBI捜査官なんて、実にオイシイ、且つ面白い役どころなのに。このまま登場シーンがなくなるのは、実に惜しいことですよ。でもこの「午前の光」でおきた一連の物語によって、ジェームズがFBIやらなにやらとの関係を断ち切れるのなら、それはジェームズにとっても彼の親友達にとっても、非常に喜ばしいことに違いないから、ローダ・キャラハンの退場の寂しさは、私の胸の内にだけ留めておこうと思います。
 本当はシリーズ最初から読み直したいけど、そんな余裕はまるでありませんwww 超大河漫画だからねっ! でもこの漫画は、本当にすごく良いので、最後まできちっと作者ご本人の望むペースで書き継いで完結させて欲しいなと思います。



 ところで、どうでもいいけど、ちょっと確認の為にパームのことを検索したら、wikiがめちゃ充実してた! →【獸木野生 - Wikipedia

*1:確か「蜘蛛の紋様」

*2:それが漫画じゃなくても

*3:それはデリカシーのあるないの話ではなく、単純に文化の違いだろう