左伴社長辞任によせて。

 左伴社長5月末日で辞任とのこと。すっかり出遅れていますが、改めまして、長い間お疲れさまでした*1。普通の会社の社長業と違って、サッカーのクラブチームには純粋な社長の業務とは別に、チームの勝敗というものがあって。どんなに社長として有能な人だとしても、チームが勝てなければ批判を浴びる対象になりうる点で、サッカーのクラブチームの社長は難しく、厳しい立場だっただろうなぁと思います。
 久しぶりに長文です*2



 いつだったかのハマトラ*3に、社長のインタヴューが掲載されたことがありました。観客動員のことや、ゴール裏のこと。その他色々なお話をしていて、私はこの時の内容をわりにどれも印象的に覚えているのですけど。その中で、確か(語弊があるかもしれないけど)「早く社長を辞めて、サポーターに混じってゴール裏で応援したい」、という主旨のことを仰っていたと思う。私は妙に「ああ、そうだよなぁ」と読みながら納得した記憶があります。チームのことを考えれば考えるほど、社長としてチームに関わっていることは、きっととてもしんどいことだろうと思ったからです。誰もがそうであるように、自分が関わっているものは「できるだけ良くしていきたい」。それが普通の感情だと思う。
 純粋に自分が頑張って力を発揮できることならいい。でもチームは生き物で、同じ生き物としての対戦相手もおり、運のようなものもあって、努力したからといって必ずしも望んだ結果が得られるというものじゃない。努力に対する結果が約束されていれば、どんなにやりがいがあって楽しいだろうと思いますが、その辺りスポーツは特に水物だから。身軽に身一つで応援できる立場になれたら、とそんな言葉が冗談にも出てくる気持ちが、少し察せるような気がしたものです。

 商業主義すぎるというような批判も一部で目に(耳に)しましたが、それも社長なりの考えでこれまで色々やってこられた結果なのだろうと思う。完全優勝をした年もあれば、ここ二年くらいのように苦しいシーズンもあり。特にACLへの挑戦については、文字通り、選手・サポーターと苦楽を共にした戦友だったとも思います。今年、川崎と浦和がACLの決勝トーナメントへ駒を進めましたが、それもこれまで協会のサポートの少なかった時代に横浜や他のチームが懸命に戦って、乗り越えられなかったという結果があればこそ、今年の協会のサポート体勢が生まれたという部分もあると思う。本当に悔しい思い出ですが、それもまるで無駄ということではなかったのかなと思ったりしています。
 私は会場その他で実際に社長をお見かけしたことは一度もありませんが、不思議に身近な印象を抱かせる人だという印象でした。オフシーズンに、「今の時期、クラブにはお金がありません」と、ああも明けすけに言ってしまえる社長を、私は彼以外に知らない(笑)。この件に関して賛否はありましたが、赤裸々な内情を告白してしまうことは、私は社長なりの「芝居」だったのじゃないかと思っている。
 選手・試合以外の部分で、クラブチームそのものに親しんでもらう為に、クラブチームがどういう風に運営されているのか、少しでも身近に思えるように実際の数字をもって語ってしまったのではないかと。それもまた、共感を呼ぶ一つの方法には違いないのです。日本人は昔から判官贔屓で、弱い立場にあるものを、「自分達で守らなければ」と思いやすい。そういう感情を起こして、チームに対してサポーターから積極的に気持ちを向けてもらおう、そういうことだったのかなと思います。横浜という大きなクラブチームでは、「自分が関わらなくても、誰かがやるだろう」と思いがちだから。そうではなくて、「あなたの力を欲しているんだよ」というメッセージとして、私は悪くなかったと思うのです。
 それが会社運営の戦略的な思考から生まれたポーズだったとしても、私はそういうことをする社長を嫌いではなかった。色々あったけれど、岡田さんを監督に据えて完全優勝したこと、ACLを勝ち抜けなかったこと。その嬉しさと悔しさ両方を一緒に味わったことを、私は忘れないと思うのです。



 話は多少ずれますが。恥ずかしいが社長に倣って一つ赤裸々な告白をしよう。
 横浜にサッカーを見に行くようになって、しばらく経つ頃。唐突に、あの会場にいるだけで誰かとなにかを共有したような気持ちになったことがある。それはどう考えても間違った、弱いものの勝手な幻想の共感でしかないのだろうけれど。それでもあの会場にいるだけで、妙にほっとしたような気持ちになった。
 私がここにいてもいなくても、サッカーは行われ、ゴール裏は熱狂し、試合は90分経つと決着する。そんなことは当たり前のことだけど。応援の声や手拍子に混じってもいいし、混じらずに観戦に徹する人もいる。どういう人でも「ここ」にいることが許される、それがスタジアムなんだなぁと思ったら、ちょっと泣きたくなった。多分、ちょっと救われたんだと思う。
 そういう気持ちのことを書いたのかどうか判らないけど、ごく個人的に、まるで見透かされているようだな(苦笑)と一番心に残った「社長の手紙」を引用して締めにします。左伴社長、今までありがとうございました。お疲れさまでした。


「ちょっと溶け込むのに時間かかるかもしれないけど、試合に連れて行って、みんなの輪に混じらせてもらって、仲間にしてもらって、そして過去なんか清算しなくても前を向いて歩けるようにならないかな」って。

 サッカーで満足に勝ち切れていない会社の代表が言うことじゃないかもしれませんが、私は何かしてあげたいんです。せっかく生きているのに、苦痛の時間だけに囲まれてしまっている人たちに。少なくとも私は、そうした人達の心のひだにあるものを理解して、その叫びに耳を傾けていたいと思っています。スタジアムの熱気・思いやりのあるサポーター達・うちのサッカー、それだけの力、持ってると思うんです。

http://www.f-marinos.com/club/program/letter/index.php?fn=050802

*1:「お疲れさま」という言葉は目上の人に対して言う言葉じゃないって知ってる…! でも他に言葉がないから、敢えて使っています…!

*2:あ。つか生きてます。←こんなところで生存確認か…!

*3:ゴール裏で配られていたフリーペーパーの