補記。

 先日の「ハマトラ休刊」に関するエントリー*1に対して、幾つかのコメントを頂きました。その中で、私の書いたエントリーに関して誤解が起きているように思われる部分がありましたので、コメントのお返事として、幾つかのことを補足として書かせて頂きました。



 まずコメントのお返事を、こうして一つのエントリーとして勝手に立てさせて頂くことをお許しください。
 こちらのエントリー(ハマトラの蒔いた種。 - *Bootleg05*)に、以下のコメントを頂きました。

横浜FCサポのブログだけど、ここ読んでみて。
http://tsunodama.s33.xrea.com/mt/archives3_2/2006/20060405-013151.php

そしてよく考えて。

 詳しくは上記のリンクから、お読みいただければと思いますが、拝見してきたURL先の記事には、「会場配布物に携わる方の努力やご苦労」と、「会場に足を運んでいる人がまず一人一人惜しみなく気持ちを傾けて応援することの必要」といったことが書かれています。私にはそのような内容に読めました。文章の書き方やスタンスのようなものの違いで、印象が違うので、「内容が大きく掛け離れている」と思われるかもしれませんが、上記記事と私の書いたエントリーの主旨は、根本的な部分はあまり変わりません。
 私の文章の稚拙さなどで、もしかしたら誤解された部分があるかもと思いましたので、前回のエントリーの補足のようなものを、以下で書かせて頂きます。



 エントリーと重複するようですが、私は「応援の形にはそれぞれあって、今、変化のないように見える人達も変わろうとしていることと、その変化には少し時間がかかる」ということを書いたつもりです。応援の形にはそれぞれあるという言い方、他の部分も含め、文章が稚拙な為に誤解を招いたかもしれませんが、私は一概に「変化しないことを、ただ認めて欲しい」と言っているわけではありません。この点はどうか誤解なさらないで頂きたいと思います。
 たとえば今2階は大きな応援の声は少ない場所ですが、そうした場所にいらっしゃる方も、強制されて始めるのではなく、少しずつでも「自主的に応援を始める」ことが大事だと言いたかったのです。そして、そういう気持ちを少なくない人に与えてくれたのがハマトラだったことを考え、制作・配布に携わっていた方の大変さと、感謝したいという気持ちが、あの文章の根底にはあります。
 「許容して欲しい」という言葉は、変化を起こしていく時間がまだ必要なので、出来れば、所謂ゴール裏のサポーターの方にはその時間、もう少し待って頂ければという意味でした*2。すぐにでも変化できるなら、それは素晴らしいことかもしれません。しかし私は今すぐにも、人が応援のスタイルを変えるような方法を、思いつくことが出来ません。というより、人の気持ちを歪ませることなく、性急に考え方を変え、応援スタイルを変えることは出来ないと思うから、このようなエントリーになりました。スタジアムは(守るべきルールやマナーといったものは別にして)、強制されるものはない、自由な場所だと考えています。応援もそうです。今、ゴール裏で懸命に応援をされている方から見て、「物足りない」と感じる応援スタイルの人達を、強制的に「もっと応援しろ」という風にしていくと、強制された人達は会場に足を運ばなくなるかもしれない。それは長い目で見た時、逆効果ではないかと思うのです。

 中には、周囲がどんなに熱心に応援をしていても、「自分は応援をしない」という人ももしかしたら出てくるかもしれません。でももしそういう人がいたとしても、今会場にいる一人一人が少しずつ変わって「応援をする姿勢」になっていけば、いずれは応援をしないスタイルの人も、変わると思うのです。あるいは変わらない場合には、その場所から淘汰されると思うのです(淘汰という言い方はおかしいかもしれませんが、他に思いつかなかったのでこう書きます)(私はそういう人にも、会場に来る自由や応援スタイルを貫く自由もあるとは思いますが、混乱を招きそうなのでこれ以上触れません)。
 もしかしたら、今会場で立って跳ねたりしない応援スタイルの人達を排斥してでも「今応援を盛り上げられる人だけでスタジアムを埋めればいい」というお考えの方もおられるかもしれません。URL先の記事を教えてくださった方も、あるいはそうかもしれないと思います。もしそうだとすれば、残念ですがこの点について今は考え方が違うようだとしか言うことが出来ません。もし変化していく為の時間が短くできるような、そんなアイディアがあって、理解し共感出来るものであれば、私もその活動に参加することもあると思います。



 応援で一つになれることは素晴らしいことです。しかし一つになっているように見える場合にも、実際はそう「見えている」だけです。どんなに同じように似て見ても、一人一人は別の人間である以上、ばらばらだと思うのです。「一つになる」ということは、共に見る、きれいな幻想なのだと思っています。だからスタジアムのことに限らず、まず色々な考え方の人がいる、その違う考え方をする存在を認めるという、大前提を書いたのです。
 それでも「違うから」「判り合えないから」といって、悲観する必要もないと思っています。あの会場に集まる人には、「横浜を好き」だという共通点があり、ハマトラが少しずつでも人の心を変化させて来たと思うからです。
 スタジアムに足を運んでいる人達が、それぞれに横浜の応援を考えて少しずつ変化することで、いずれ「応援することが当たり前になる」。限りなく、一つに近付く。そうすれば「応援を強制」する必要がなくなります。個人的には、判り合えない人を強制・強要することなく、応援を盛り上げていけたらいいなと思っているのです。そしていつか、そうしたことが成功していけば、共通の夢を見れるかもしれない。
 いずれそういうスタジアムになっていく為の、今は準備期間だと思っているのです。その為に2階という場所で自分に出来ることは何かと考えた時、自分は勿論出来れば周囲にも変化を促す力になればと、手を叩き声を出して応援を続けることをしようと思ったのです。時間はかかっても私はこの方法が、一つの応援スタイルに嵌らない人を排斥していくより、僅かでもずっと意味があるだろうと思っています。

 このエントリーで、コメントへのお返事とかえさせて頂きたいと思います。

 エントリーの文章が拙く長文の為、主旨が伝わりにくくて誤解を招いたり、ご不快にさせたのでしたら申し訳ありません。教えて頂いたURL先の記事のことなども含め、これからも自分なりに考え、応援していきたいと思います。またなにか私の言葉の足りないことや、不勉強な点などあれば、どうぞご指摘いただければと思います。一つ一つ勉強してまいりたいと思います。
 コメントを下さった方々、本当にありがとうございました。

*1:ハマトラの蒔いた種。 - *Bootleg05*

*2:教えて頂いた記事にも、時間がかかるという旨の表記があります